税理士事務所に限らず、法人資本、経済実体の中には、生産関係もある労働者に当該法人資本、経済実体が立ち上げたブログの記事を書かせていることがある。
建前上、表現の自由がある、検閲はしないと言っても、資本が資本関係、生産関係を土台に労働者の書いた記事を公開前に検閲したり、公開後に書き直しをさせることが現実にはできてしまう。
労働者は法律上法人名義のブログ記事を執筆する契約もできるし、契約外の労働をしないことをできるし、資本はブログ記事を書かなかった労働者の解雇や減給はできないと解さなければならないが、資本関係上、生産関係上、労働者がブログ記事の執筆を拒むことは困難である。
労働者は資本関係上、生産関係上、法人資本と異なる見解や、消費者の利益にはなっても法人資本に不利益になる見解、労働者、社会に不利益であるが法人資本の利益になる場合に法人資本を批判する見解を書くことを躊躇せざるを得ない。
労働者には労働者の生活がある。
資本の利益の土台は搾取労働であり、労働者の利益は資本の利益とは対立する。経済関係の変更に応じて、又、各取引に応じて法人資本、労働者も実体のない観念にすぎない理念に縛られず、経済上の事実関係を全体化して労働者の問題提起も採り入れて対応しなければならない。労働者の問題提起、見解を疎外して、つまり問題提起や見解の存在を無きものにしてしまうことは、労働者の生活、社会、消費者に損失を与え、国際金融資本の利益に資するのみである。資本は労働者に問題提起の分も賃金を支払わなければならない。
意見をふさぐことは、労働者を搾取利得の土台にしかしていないのだ。中央銀行、上場法人を所有している国際金融資本は各労働者の預金資産をも所有し、石油、原子力、戦争にも投融資できてしまうから、事実関係について実名を上げて批判をすることができる。
金融資本、産業資本は生産関係のある労働者、経済関係のある経済実体の労働者、消費者の生活を疎外できるから産業資本のことを実名を出して批判ができる。
資本を持たない使用人、生活に基づいて運用する資本に余剰がない消費者はネット上で公開することにより経済損失を被り生活ができなくなるから、資本が所有する経済実体と経済関係のある消費者や使用人の実名を上げて批判することはできないであろう。
労働者の名前で記事を書かせることにより、その労働者の自己責任とされ、その労働者が勤務している経済実体又は他の経済実体の資本が賠償義務を課すことがありうる。資本と労働者の間には資本関係、生産関係があり、自由意思がないのであるから労働者は損害賠償義務に応ずる義務はないのである。
賠償義務を負うのは資本である。労働者に賠償義務を課してしまうと、労働者は債務負担、疎外労働、損失負担を認めざるを得なくなってしまう。資本に何も言えなくなってしまう。労働者は意見を述べたからといって資本を有しないのであるから、意思に基づいて革命を起こすことなどできない。
労働者は資本を持たず、法人資本と異なる一労働者の見解である旨の記載があってもなくても、見解は飽くまで法律行為を媒介に実体関係を社会に認めさせていない観念であるから他の経済実体資本や労働者が勤務する法人資本への損害賠償を履行させることはできないであろう。 解雇や減給もできないであろう。