恋愛とセックスは別物である。恋愛は異なる階級間や同性間や成人とロリータとの間や高齢者との間にも上層のレベルでは成立しうる。恋愛においては、生産関係は未だ存在せず、婚約と同時に生産関係に転化する。生産関係経済関係に阻まれて成就しないのである。

しかし、セックスしたいという本能は人間には備わっていない。衛生に注意していなければ、若いネーチャンもイケメンのお兄ちゃんも加齢臭のおっさんと同じ位不潔である。セックスは、排泄器官そのものかその近くである、病気や死の原因となってきたチンコやマンコを舐めたり挿入したりされたりするのだ。全く知識を与えずに性器を触ったりセックスするなどありえないのである。

資本家にとって、自らの子弟や労働者が子供を作らなくては搾取の源泉となる労働力を確保できない。資本家は、美の基準を設定し、エロ本、エロ映画を粗製濫造する。生殖に結びつかないロリータポルノを取り締まる。筋肉を製造する激しい肉体労働をさせずに美の基準に沿った体のラインを作らせ、メイクをさせる。性器を清潔にさせる。それでも、修正されたエロ本の性器と違って現実の性器はグロい。全てのペニスは刺激臭がしてヌルっとしてキモイ。女性はセックスに抵抗を示す。

資本家は、女性に一人で生きていけるだけの給与を与えない。与えない法制度を作る。男に抱かれざるを得ない経済関係に追い込まれる。資本家の子弟は女を抱かなければ内部留保を蓄積できない。労働者も資本家の子供を作らせられ、搾取された後の安い生活費で養育させられる。家庭は資本家の命令によって動く生産集団の下部組織すなわち生産関係そのものなのである。資本家も労働者もその構造を知っているから、恋愛という方便による媒介項、属性本能として備わっていない血縁による絆を持ってこなければ子供を作らせることに成功しないのである。資本家の子供を養育する金が与えられずにいる労働者に向かって、現在も、資本家は、御用評論家、広告代理店を使用して「貧乏人は肉を食え」とスローガンをタレ流すのだ。