かつて、訓示規定は、専ら、裁判所や行政機関への命令の性格を持ち、これらの機関がそれに違反しても行為の効力には影響がないものとされていた(加藤宏・税理6巻9号43頁)。

現在でも、訓示規定は、法律が一定の義務を課しているが、仮にそれに違反する行政行為等があったとしても、仮に違反する行為等があっても罰則はなく、その違反した行政処分の効力に影響のないものをいうと説明される(伊藤義一・税法の読み方判例の見方48頁)。

同書は、効力規定については、それに違反する行為があった場合には、その法律行為ないし行政処分の効力が否定されるような効力を持つ規定のことを言うする。効力規定の例として、同書は、国税通則法36条1項は、同項各号に掲げる賦課課税方式による国税等を徴収しようとするときは、税務署長は、「納税の告知をしなければならない」として規定しているが、この規定は、国税の徴収を進めるための基本的前提となる重要な規定を欠いた場合には、以後の徴収処分は無効となるとする。

同書は、国税通則法第37条第2項は、「督促状は、・・・その国税の納期限から50日以内に発するものとする。」と規定しているが、この規定は、滞納処分を開始する前提条件である督促状が各納税者によって、区々となっていては不公平であるので、なるべく同一時期に発するように、税務署長に対してその時期を示したものであるから、たとえこの時期に遅れて発布されても、合理的理由があればその効力には影響がないと解すべきであるとする。

かつては、更正処分の理由附記の規定も訓示規定であると解されていたが、青色申告更正の趣旨から昭和38年5月31判決によってそれは否定された。

更正処分は、納税者の経済関係、実体関係の変動を余儀なくさせるものであり、理由附記という手段によって、現実の経済関係に引き戻されることがあるから、理由附記の規定は、訓示規定ではないであろう。

前述の文献は、更にその規定の趣旨から忖度すべきものであるが、どちらかといえば、「・・・しなければならない」と規定されているときは効力規定であることが多く、「するものとする」と規定されているときは、訓示規定であることが多いとする(同書49頁)。

忖度(そんたく)とは、相手の真意、心情を汲み取ることで、必ずしも何等かの措置を伴うものではない。

訓示規定とは、敷衍すれば、法律が一定の義務を課しているものの、仮にそれに違反する行為等があったとしても罰則が存在せず、その違反があった法律行為、行政処分が形成した適法であることの推定(公定力)は覆すことができないとされていうるものであるということになろうが、適法か否かは、評価の問題であり、納税者がその労働力を使用して実体関係を変動させることができないとする規定ということができるであろう。

これに対し、効力規定とは、それに違反する行為等があった場合には、当該法律行為ないし行政処分により形成した新たな経済関係、経済関係を総合して再分化した社会関係、それを土台とした法律関係(実体関係)を変動させることを否定する根拠となる法律である。法律行為や行政処分とそれら取消は、手続という労働を伴うので、自然現象や偶発事象により、行為やその取消の効き目が浸透するのではない。効力規定という評価は、現実になじまないところがある。

訓示規定や効力規定といった属性は、予め法律の規定そのものに備わっているものではない。法律は、フィクションされた経済関係を土台に規定される。法律の趣旨や意図や理論に合致するか否かというのは、後付の方便であり、実体のない観念であるから、法の趣旨から訓示規定か実体関係が取消されなければならない規定かを分けるとなると、現実の経済関係を疎外(無きものにすること)されてしまう。

当該規定に定められた義務を履行しなかったことにより、納税者の経済関係を変動を余儀なくさせ、納税者に経済関係上の損害を与えるかどうかについて、国際金融資本と納税者の実体関係の変動をさせるかどうか、取消すか否かを決めなければならないであろう。法律上無効と言っているのは、フィクションされた実体関係を疎外するということであるから、一旦、法律行為や行政処分により、実体関係の変動をフィクションさせているのであるから、「無効である」「無効にする」は、「取消す」に変えないと、現実の実体関係の変動、再変動の過程に合わないだろう。

課税処分は、課税庁の職員を使用する国際金融資本と納税者間に存在する一方的な権力行使の関係であるから、国際金融資本と行政庁職員の行政内部の生産関係上の理由であろうと恣意的な理由であろうと訓示規定なるものは成立しえず、経済関係上の土台に基づかず、納税者において課税の土台を知りえず、課税庁の職員を使用する国際金融資本が効果のみを期待して処分を行うことができないから効力規定という名称は相応ではないであろう。