資本主義って何だろう
資本経済というのは、金庫番を名乗るアームシェルロスチャイルドが、労働者が産み出した利潤を、労働者がした労働を全く評価しないことにより、横取りをして、利潤の返還を待つ労働者に、貸したことにして、労働力を再生産させて労働させ続け、労働の途中で預かり証を発行し、存在しない借金を利子をつけて返済させ続けることによって発展してきたものである。
ロスチャイルドは、労働者から前借した金で銀行を創った。
日本に金融資本経済が本格的にもたらされたのは、幕末であり、進行し続ける労働の過程を架空の商品と引き換えて評価したものである時間でいうと1865年に、ロスチャイルド一族のアーサーザスーン(他にトーマスサザーランド)が出資設立した香港上海銀行、現在のHBSCホールディングスの支店が横浜に出来てからである。
ロスチャイルドは、グラバーや坂本龍馬に貸付けをフィクションして戦争を引き起こさせた。
更に、ロスチャイルドの出資によって、現在の三菱東京UFJに当たる横浜正金銀行が設立された。
ロスチャイルドの自作自演によって、すなわち、銀行の労働者に嘘の借金を創造し、連銀や日銀を創設し、無から脳内で無制限に紙幣をフィクションして、法を作って社会に認めさせた。
連銀も日銀も民間銀行である。現在の出資割合は、ダビッドロスチャイルド、デビッドロックフェラーが各33.4%、天皇が20%である。
ロスチャイルドは、ロックフェラーと共に、日露戦争、第二次世界大戦をフィクションさせて利潤を増殖させていった。
核兵器、航空機は、労働によって産み出す利潤が大きい。すなわち、疎外できる労働の評価が大きいのである。
他の産業よりも、より多くの貸付けを捏造できる。
イデオロギーとしての資本主義経済は、上記のような労働の疎外(労働の評価を否定すること)を土台として創り上げられ、フィクションされた資本関係(銀行券という架空の商品の貸し借りという債権債務)を源泉に労働力をコントロールして発展させてきたことの後付の方便として、自由や博愛という美辞麗句を添えて宣伝されてきた。
一方で、能力に応じて働く、必要に応じて働くという民主主義の一環としての共産主義を工作員にフィクションさせ、宣伝させ、それを私有財産の否定、労働の賛美というように曲解され、宣伝されていった。
現実には、共産主義という属性を付与された社会(複数の経済関係の合計)で行われていることも、資本経済と同じである。
フラットな、労働関係、経済取引の関係が、フィクションされた資本関係を源泉に、労働の評価の否定を基礎に利潤を増殖するというプロセスを繰り返し、それを手段に、生産関係(金融資本と労働者の雇用関係のこと)をコントロールして、後付の方便としてフィクションしたのが、イデオロギーである。
イデオロギーによって経済活動を行うことは現実にはできない。
資本主義に洗脳されても、共産主義に洗脳されても、労働者は、搾取されていることに疑問を持たなくなるのである。
労働者は、資本経済を否定しちゃいけないの?
資本経済は、労働の強化により、余剰の商品を産み出した。
更に競争を煽りそれを反復させてきた。
民間企業の労働者に、国際金融資本が造らせた施設は未使用なものも多い。
これ以上、経済発展する必要はどこにあるというのだろう。
税理士先生も税理士の使命がどうだとか能書き垂れてるけどさ、
国際金融資本への借入れへと転換される保険の売り込みとか、借入れの斡旋とか国際金融資本に利潤を与えることしか、やってねえじゃん。
労働者が自立して
ロックフェラーやロスチャイルドに成立させられた税理士なんかとっとと、消えてなくなっちまえよ。
親も労働を提供して労働の評価を待たされてきたにすぎない。
親は子供を作る義務もなければ、子も親を養い、労働力を再生産させ、利潤を分配し続ける義務はない。
養う義務は、労働が産み出した利潤を搾取した金融資本が負わなければならない。
更に、女という労働力をレンタルせず、性労働をして子供を作らず、労働を強化して続けざるを得ない経済関係を作らなければ、営業活動をして仕事を増やすことも、働き続ける必要もない。
スマホの代金と使用料(労賃)を支払続けるだけの金を得ればいい。
更に言えば、自分の肉体という労働力を再生産して生存し続ける義務もない。
現在、生存を続ける労働者が労働を止めたり、抑制しても、子供が少なくなっても、無制限に紙幣がフィクションされ続けている以上は、他の労働者に経済上損害は与えない。
経済を発展させたのは、労働者の労働である。
国際金融資本が貸付けを捏造したからではない。
労働の評価を超えて生存していたとすれば、紙幣のフィクションを源泉にした労働者の労働による恩恵を受けて生存し続けている。これまでの労働の評価が全て返還されれば生存し続けないというのであれば、金融資本経済を否定したと言えるのである。
現在の仕事量で一人で労働を完了することが難しい、労働以外のことができないのであれば、一労働当たりの労働の評価が低い労働をさせてくる顧客から取引関係を切っていけばいい。
労働力商品を購入して生産手段を労働力に稼動させて疎外労働をさせ、事務所を借りて融資のフィクションを受け容れる必要もない。
人を雇わないフリーランスは、外注先の労働者に労働をしてもらった分については、労働をした人が産み出した利潤であるから、それについては、全てを支払わなければならない。値引きは、労働者が産み出した利潤の収奪を資本と共にすることである。
自分が労働して産み出した利潤は全て自分の取り分である。
労働をしていない、利潤を産み出していない地主や金融資本に利潤を分配しなくて済む。
これは金融資本経済、その上層にある資本主義の否定である。
戦争、原子力、石油、種子の改造、製薬によって発展してきた資本経済の否定である。
金融資本経済のシステムに基づいて、搾取して肥え太らせて、国際金融資本に金を貸して国際金融資本を富ませる義務は、労働者にはないのだ。
自らの働き方を、資本経済のプロセスに適合させる義務はないのである。
主義、原理、法則、現象に洗脳されない。
奴隷の道徳、宗教に洗脳されない。
これがフリーランスというものである。
ロスチャイルド、ロックフェラーは、無制限に紙幣をフィクションできるから、
労働者は、いかなる手段を用いても、経済上、日銀の出資証券を購入することはできない。
労働を抑制することが資本経済を停滞させる数少ない手段である。
ぼっち税理士に毒づいている先生は、国際金融資本にとっては、”素直ないい子”ちゃんなのである。