法律はブルジョアの所産である。
司法も税務署長も検察も弁護士にも銀行を通じて
資本関係がフィクションされているから
確定した事実関係の全部又は一部を疎外して
事実関係をフィクションし
事実関係を観念を交えて
解釈を手段に歪めて
事実認定し
又、更に法の解釈を歪めて
適用を免れる。
国際金融資本の投資された段階で
プチブルが資本金を上回る借入をしている段階で
紙切れに引換証の属性が付与された段階から
資本関係がフィクションされ
労働者は土俵に上がらせてもらえず、
プチブルでもある代理人や税務署員は、
紙切れに資本関係をフィクションされた国際金融資本との
国債の返済の繰延を巡る争いに事実上負けているのだ。
税務争訟は、
1階で経済関係がフィクションされ
2階で実体化が行われ
3階で行なわれる、実体法を使いこなせない、
実体のない観念である法的安定性(税務リスク)、予測可能性(税務リスク)
租税法律主義や憲法論、唯心論たるーこれでもプロかー信義則
実体のない観念である目的論を
拠り所に
代理人たる弁護士同士の
話し合い、茶番であり
国際金融資本と対立する側の事実認定、解釈を認めるフリをして
法の解釈適用が及ぶところではないとして
結論付けられる。
勝敗に関係なく判決理由には
学ぶところがない。
土台で行なわれる経済取引
2階で行なわれる
税実務、質問検査における
使える材料は皆無に等しいであろう。
裁判例、裁決例の読み方としては
既成の経済上の事実関係が
行政、司法の場での事実認定によって
歪められていく過程を観察、研究するという使い方に
なるであろう。
代理人同士の話し合いに持ち込ませないことだ。