労働者は、紙切れをフィクションする権利を取得していない。

全ての企業は、国際金融資本の出資設立であり、資本関係がフィクションされている。

この取引を逃したら損失が大きいと実体のない観念に価値属性を付与し機会損失と言って洗脳する。

利潤が蓄積するのを待つことなく現金商品の量を増やして借入をすると

絶えず労働をさせられ、労働力が稼働させる時計という商品と交換され、低い単価が付される。

労働者は、果たして、労働力商品を購入し生産手段を購入すれば投融資を受け容れざるを得ない。

労働者は労働力商品、生産手段を購入し起業して労働力を再生産させ利潤を拡大させる必要があるだろうか。

利息は、疎外労働を土台とした利潤の分配である。労働の評価を疎外されて国際金融資本への前貸しがされたことが疎外され、フィクションされた資本関係を源泉とした国債返済の負担という面が保険料と共通するところである。

労働を疎外された労働力商品に渡された商品の請求書である引換証に価値が付与され、借用書に転換させられているのである。

国際金融資本の代理人となった労働者が、その代理人となった労働者そのものに貸し付けると、現場労働者に貸付が行われなくなり、疎外労働を土台とした利潤を国際金融資本は得られなくなる。

国際金融資本は紙切れをフィクションし価値を付与する権限が交付されているから、銀行は破産することはない。

貸付先の企業が破産しても、銀行は破産しない。貸倒損失が出たり、貸倒引当金計上額が膨らんで欠損が出ても銀行は破産しない。貸倒引当金は実体のない観念で現実には内部留保である。

貸付先企業の市場での評価はどうでもよいのである。法人の代表者に価値属性の備わっていない自社株に価値を付与して購入させれば、国際金融資本は利潤の分配を受けることができるのである。

借入歴のない企業の労働者にも貸し付ける。借入歴のない企業の労働者が資金不足であるとか利潤が停滞したり欠損したりということは関係ない。借入の実績の有無に関係なく貸す。
信用という実体のない観念に基づいて貸すのではない。
簡単に貸すと疎外労働をさせなくなるから貸し渋りのフリをする。

国際金融資本の代理人となった企業の代表者は、当該企業を潰させてもらえない。存続させることで、疎外労働を土台とする利潤を得ることができるから、国際金融資本は、銀行の労働者にコンサルをやらせる。