国際金融資本は、労働を疎外して、労働の評価を借りて銀行をフィクションし、労働力商品の評価をさせ、紙切れをフィクションして引き換え、紙切れを評価している。労働力商品に付された価値を労働の評価はイコールでない。

労働者は、紙切れをフィクションし、価値を付す権利を取得していない。これからも取得できない。

労働者は、労働の評価を取り戻せていない。

国際金融資本は、労働力の再生産を義務付け、プチブルの代理人たる労働者を通じて、労働者に投融資をする。

しかし、これは、国際金融資本から労働者への貸付ではない。労働者は、労働の評価を貸して貸した金が返ってきただけである。労働者は、経済上、新たに労働に応じる義務はないのである。

労働者は、国際金融資本に現金を貸して、国際金融資本が労働者に現金を貸すことを通じて、労働力に投融資して、現実に労働をさせて、価値を付され、実体化されるのであるから、国際金融資本は、労働の評価に、労働者から借り受けていた期間の労働の評価を加算して労働力商品の評価を現金で支払い、現金に価値を付さなければならない。

利潤の土台が労働である以上、国際金融資本が労働者に貸し付けている間、国際金融資本は労働をしないのであるから、金を貸したことにより、利潤を産み出すことができなかったというのは、実体のない観念であり、方便である。現実に、紙切れをフィクションする権利を実体化させているのであるから、その労働力に貸し付けて、労働をすることにより利潤を産み出すことができるのであるから、金を貸したことにより利潤を逸失したというのは、実体のない観念であり、方便なのである。

国際金融資本に貸した金が戻ってこない職場なんかとっとと辞めちまえよ。

労働力、労働力商品には価値は備わっていない。

金が戻ってこない、労働の評価が疎外される職場にいて労働したって、大量に単純労働が与えられ、安くコキ使われ、労働力を再生産させられ、金が返ってこないことの批判を抑えつけられる職場で労働したって、国際金融資本に利潤を与えるだけで、何のスキルも身につかない。

3年いないと、スキルが身につかないというのは、安くコキ使うことの方便。

利潤は、労働の疎外を土台によって産み出され、他の経済実体と商品を交換することによって
産み出されるのではない。

国際金融資本は、代理人(企業の代表取締役のこと)を通じて、経済利益を産み出したかどうかではなく、現実にさせた労働に価値を付して支払わなければならない。

国際金融資本は、労働者が、価値のないものに価値を付して売るという駆け引き(交渉)を禁じることを実体化させることに成功しているのかい?

資本関係を源泉とした経済関係、生産関係を通じて、前述の駆け引きが実体化されることを免れているだけに過ぎないのである。

時間の経過によって、スキルという価値が付与されるのではない。

3年経過しない内に辞めたっていいと思うよ。