創業者は、ユダヤ金融資本の投融資を受けて

仕入先、外注先の労働者の評価を安く買い叩き、

購入した労働力商品の評価を買い叩いて

踏みつけてのし上がってきた。

二代目は、創業者を通じた国際金融資本との資本関係、生産関係から離脱することが

困難である。

二代目は、ユダヤ金融資本の代理人である銀行員から

銀行の顧客のブルジョアの娘又はボンボンを貸し出されて

閉じ込められてきた子供のままである、産む機械との間に

労働力の再生産をさせられる。

子供が子供をけしかけて、唆して

創業者のしてきた疎外労働を土台とした利潤のプロセスという路線を継承する。

だから、労働者が辞めてしまう。

代替わりしたから辞めるのではなく、

創業者の代から不満は形成されていたが、

国際金融資本によってフィクションされた、資本関係、生産関係から

労働力再生産をさせられてきたから簡単に辞めることができなかったのだ。

労働者や取引先の労働者とのしがらみの打破、

新しいビジネスモデルという属性を付与しているが、

二代目夫婦は、守られすなわち閉じ込められてきた皮被りの“子供“であるから、

ユダヤ金融資本の設立した教育、メディアによって

流される疎外労働の方便たる奴隷の道徳に洗脳されており、

子供達のいう手段は、

疎外労働の強化又は解雇というリストラの強化

労働力商品としての価格の値下げの強化なのである。

だから、当該企業の労働者、取引先の労働者からの反発を招く。

アマは和で勝つ

プロは勝って和ができるは、

金によって観念が形成されるという面では正確である。

しかし、ビジネスに和は必要がない。

観念に基づいて労働するのではなく、金で生産関係上の問題は、

理念や奴隷の道徳の流布よりは遥かに緩和されるからである。

二代目がやることは、

先ずは、労働の査定を見直し給料を上げる、労働条件の見直しによる改善、又は、

労働者の人生という立場を考えて退職を受け容れ、奴隷解放してやることである。

顧客が減少したり、売上の単価が下げられても、給料に反映させないことである。

労働条件を改悪して労働を疎外して労働力商品に付される単価を

下げることをしないことである。

代理人労働者は、現場労働者の労働を土台にした利潤の中から

おこぼれをもらってきた。

事務所の存続承継よりも労働者の生活である。

その他細かい問題はその後である。