人は何故学ぶのか。
それは、好きでもない実体とセックスしなくて済むからである。
すなわち、奴隷解放に近づくからである。
人間には、本能は備わっていない。
資本関係を土台に
性が規定される。
労働力の再生産の義務をフィクションされる。
愛は錯覚なのだ。
実体のない観念なのだ。
奴隷の道徳による洗脳の産物なのだ。
受験勉強でも
学校の勉強でも
労働に関係ある勉強でも
社会の中で生活を送りつつ、
勉強を進めていくと
試験に関係のない知識や「してはいけない勉強方法」を知り、要領の良い勉強法が身につく。
講師やメディアや書物に言われたことを理解する実力がつく。
これだけでも、
難関大学に合格し、
資格を得れば、
選択枠が広がる
ように見える。
資産家になって
リ野獣にもなる途にぐっと近づくだろう。
受験が終わりに近づくにつれ、
市場に出回っている書籍や
セミナーや大学教授や専門学校や塾講師の言っていることや
メディアに登場するコメンテーター
新聞に登場する学識経験者の言っていることが
100%嘘っぱちで、捏造されたものであることがわかってくる。
労働者には全く利潤をもたらさないものであることがわかってくる
同一人物の言っている複数の事柄が相互に矛盾していることがわかってくる。
しかし、先人が捏造された資本関係を受け容れたことにより
全ての人間は、労働力商品として生かされている。そこに意思はない。
止むを得ず、勉強をせざるを得ない。
賃労働をすると
学校や受験や職場でやらされた勉強は、
現実社会における事実関係と乖離していることを再確認できるのだ。
資本経済主義者の言っていることも、共産主義者の言っていることも
100%嘘で、ユダヤ金融資本の使いっぱとして手を取り合っていることが
都市伝説でないことがわかってくる。
俺は、それ以来、
テレビも見ないし、
新聞も読まない、
書籍も読んでいない。
学校や受験とは生活手段であって、
学校や職場や書物やメディア以外の手段で学ぶことを並行してやってきた。
学ぶことをやめた奴、しなかった奴は、
たとえ、疎外労働に応じず、
現金、金融商品を含む架空資本を購入し、
労働者に貸付けて、労働の疎外を土台とした利潤に付された価値を
オンラインでプライベートバンクに預けても
ユダヤ金融資本に預けた価値で架空資本を買われてしまうのだ。
金融商品の勉強に費やしたことは、疎外労働になるのだ。
だから、金融商品や株式投資や起業やプライベートバンクが宣伝されるんだよ。
資産と引換に借金を背負い、
産む機械を貸し出されて
労働力の再生産をさせられている。
労働は疎外され、ユダヤ金融資本は潤う。
だから、性商品が宣伝されるんだよ。
学ぶことを続けていけば、金持ちになんかならないのだ。