借入元本や利息よりも労働債務の支払が優先されるのは、労働者が疎外された労働に付された価値を国際金融資本に貸しているからある。
労働者は、資本から労働を疎外されている。疎外された労働の評価は、利潤に転嫁され、プチブルの属性を付与された労働者を通じて預金される。すなわち、他の経済実体労働者に、銀行の労働者を通じて、貸付けがフィクションされるのだ。
前貸しした労働の評価が返済されるまでの間、生存を維持している内に、貸付けがフィクションされるのだ。労働力の再生産を余儀なくされているのだ。
恰も、労働者が債務者であるかのように、洗脳されているのだ。国際金融資本に国債の発行をフィクションさせられているのは、銀行の労働者であり、金を借りているのは、国際金融資本なのだ。
国債は、労働者の債務であるかのように煽られ、少子化、少子化、どうするんだと執拗に粘着される。