国際金融資本は、紙幣を無限に無からフィクションし、価値を付与することができるから、労働の疎外を土台とした利潤に付された価値を借りて国債や株式を買い、プチブルを通じ労働者に貸付を行い、国際金融資本にとっては、実体化させた貸金が返ってくるか否かは問題ではなく、労働者に国債の返済負担を負わせつつ労働力を再生産させる金融資本経済のループを維持することが、資本経済上、義務付けられている。

銀行の労働者と税務署に、労働者に借入資本を負担させることと労働力の再生産させることの代理を分業で行わせているだけで、財務諸表に関する、税務署の目線も、銀行の目線も同じである。

金融資本の目線で財務分析をするということは、労働債務の支払よりも金融資本に利潤を分配することを優先するということである。

資本は、生産手段を労働者に貸し出す。労働者が生産手段(原材料、機械、道具、土地)を稼働させる。架空資本や生産手段が利潤に付される価値を産み出すのではない。労働力が産み出した労働に付される価値は、労働力を提供する毎に確定する。生存過程の経過に価値は備わっていない。労働に付された価値と生存過程が交換されて労働過程に価値が付与される。時間の経過によって労働に付される価値が規定されるのではない。時間の経過が利潤を産み出すのではない。時間の経過によって、生産手段に付与された価値、投下した紙切れに付された価値が減少するのではない。労働過程に付与した属性が労働時間である。

労働に付された価値は、疎外され、商品に転嫁され、すなわち架空資本との交換前に資本が受け取る利潤に付される価値が確定する。

減価償却費は、支払利息、国債返済の負担である租税と同様に、疎外労働を土台にした利潤に付された価値の、資本への分配である。疎外された労働に付されていた価値が労働力商品に付された価値より大きい分が剰余価値である。

労働をさせる毎に、商品/固定資産、報酬/未払費用という2つの仕訳が建って、未払報酬を支払わずに、留保しているのであって、未払費用の借方は減価償却費であるとして報酬を支払わないことの方便にしている。このことは、一括評価債権の貸倒引当金や金融業の貸倒引当金や退職給与引当金にも言えることである。

労働者は、報酬をもらっていないのに、それどころか銀行資本に前貸ししているのに国債や銀行借り入れの返済を負担させられているということである。

減価償却費を過不足なく計上した上で税引後利益を算定した上で、減価償却費を加算して返済原資の有無を論じているから計算上返済原資があるか否かの分析結果は同じとなるが、現実の損益計算には乖離したものとなる。一円でも減価償却が計上されていれば、それを税引後利益に加算し、労働債務(返済原資がなくても支払わなければならない)、銀行借り入れの返済原資があるか否かの算定過程の頭の金額と一致させておかなければならないであろう。

損益計算書上の給与勘定の中に含まれている、法人資本である役員の役員報酬が、生活費の実費を下回っている場合には、仕入と売上の両方を抜いていないかどうかーこれは役員からの借入れが膨らんでいる場合にも言えることであるーを調査した結果、除外しているという事実があったなら、当該役員報酬の過少計上分は、資本に処分権が与えられたということであり、税引後利益に加算しなければならないのであって、一律に税引後利益から減算して財務分析を行うのはいかがなものだろうか。

減価償却、引当金のような非流出項目、中小企業資本にとっては、権利とはいえ、中小企業はそれを貸し出しても利潤に価値を付与することのできない繰延資産、無形資産が混入していないこと、架空資本の内現預金は盛り込まれてはいるが、有価証券が盛り込まれていないことをみれば、企業の全ての利害関係者にとって、返済原資の分析ということに限って言えば、財務諸表を使って財務分析するよりは、資金繰表を使って財務分析する方が、僅かながら、まだ益しなのではないか。

減価償却プラス税引後利益を銀行借入-現預金を上回っている段階で、返済原資がないということであり、銀行借入-現預金の十倍の減価償却+税引後利益を上げられるというのは、実体のない観念であり、疎外労働をさせてきたことの方便、奴隷の道徳であることは昆虫並みの頭脳しか獲得してこなかった当方でもわかることなので、賢明な頭脳を獲得してきた皆さんには、たとえ、国際金融資本の代理人が融資をすることにYesといってもやめた方がいいであろう。