労働に付された価値が疎外されたことを土台に、利潤に付される価値が産み出される。
国際金融資本がフィクションした国債の元利、配当、家賃は、法人税を差し引く前の利潤から支払われる。労働者への支払は、国債の元利、配当、家賃控除後の利潤に付された価値からされる。
労働力商品に付与された価値に基づいて、労働者に支給された紙切れに付される価値が低くなるということである。
Amazonは、労働力商品を購入して労働を疎外して利潤を得ながら法人税を負担しない。
法人税を負担しないことによって、商品や役務を安く売ることができるということは、商品、役務に付された価値の低下分が、労働力商品に付された価値に転嫁されるということである。法人税も利子も国債の返済に他ならない。
労働者は、債権者でありながら、してもいない借金を払わされているということであるということである。
国債をフィクションし、国債を購入してAmazonに投融資をしているロスチャイルドが国債の元利返済の負担を免れている。
留保されたままの利潤が、教育に回されるということは、利潤の土台は、労働の疎外であるから、労働者が授業料を負担しているということである。
労働者に授業料を払わせて疎外労働をさせたことの後付の方便に、洗脳させているのである。Amazonが租税を負担しないことの問題は、フェアかアンフェアかという観念上の問題ではない。
観念が形成される土台となる、経済の問題、労働者の生活に関わる問題であって、観念上の問題、イデオロギー上の問題として軽くスルーして欲しくない。
租税の専門家から観念上の問題が提起されるということは非常に残念なことである。