壁際に女を追い詰め、壁に手を突く壁ドン。女にはレイプされたいという本能は備わっていない。本能は実体のない観念である。労働力再生産義務を土台として課せられた延命義務、衛生学教育により、女はチンコが嫌いになり、男もまんこが嫌いになる。動物も労働力再生産が義務づけられているが、衛生学教育がないから、言語に代わるサインを送って性交をしているのであって性交は本能に基づくものではない。人間だけが優れている唯一の存在であるとすることは、人間の思い上がりである。

縦に長く造られたか短く造られたか、脂肪の量が多く造られたか否か、肌の色が白く造られたか、黒く造られたか、目が小さく造られたか大きく造られたか、鼻が低く造られたか高く造られたか、唇が厚く造られたか薄く造られたか、頭や顔が大きく造られたか小さく造られたかーそこには偶然がない。資本経済社会、生活においては偶然は存在しない。肉体を造る過程においては疎外労働があるから、国際金融資本の資本には価値が付与されるーの違いであって、人間や物に産まれながらに価値属性は備わっていない。チビ、デブ、ハゲ、ブス、貧乳、巨乳は観念であり、蔑称ではない。これを差別表現であるとする奴ほど、国際金融資本が、電波に流させている情報に洗脳されているのである。人間は物差しではない。労働力商品である。身体測定機器も物差しではない、商品である。人間を労働をさせることによって物と人間に価値がフィクションされ、労働に付された価値が疎外されるのである。

ロックフェラーやロスチャイルドは製薬や食料品の土台となる種子に投融資し、成長ホルモン入り食肉、遺伝子組み換え食品によって、労働者の身長を高くさせてきた。背が高くなれば、臓器が身体を支えられないから病気や怪我をしやすい。頭脳から距離が遠く、長い手足は、肉体労働も頭脳労働もスピーディにこなせない。机に向かって椅子に長い間座っていることができないから疎外労働のノウハウが蓄積されないから頭脳労働もスピーディに行うことができない。国際金融資本は、コストパフォーマンスが低い背の高い人間を何故、生かしておくのだろうか。製薬や種子の開発、製造は長い過程を経て行なわれる。製薬会社は、失敗を重ね原材料を無駄使いし、金をドブに捨てる。それ投下した紙切れに付された価値が大きい。疎外された労働に付された価値の量も大きい。ということは、製薬会社に投融資した国際金融資本は、元本に付された価値が大きくなり、その運用する権利、生産関係は強化され、疎外された労働を土台とした利潤は、配当原資、国債購入の原資となり、製薬会社が赤字であっても、利息という方便に付す価値は大きいということである。だから、生かしておくのだ。製薬は、それを投与することにより回復することなく新たに病気を付加する薬である。高身長の労働力を再生産をさせなければならない。遺伝や優生学は実体のない観念であるから、高身長の子供が生まれるわけではない。成長ホルモンや遺伝子組み換えを食わせなければならない。種子や成長ホルモンに投融資をして、これも疎外労働に付される価値の量が大きいから、国際金融資本は資本に付される価値を増殖できる。それらには、後付の方便を用意しなければならない。

国際金融資本は、背の高いコーカソイド、ハーフタレント、韓流タレントを、資本関係のある電波に登場させて、背の高い男に守られているという安心感という実体のない価値属性、方便を付与する。女に背の低い男は残念と言わせる。顔が身長に比して大きい女をネタにする。顔が大きく背が低くて足の短い女が、背が高く足を長いものと社会に幻覚させてきたヒールを、そうでない女にも履かせる。国際金融資本は、ヒールを履くことはが社交上のマナーであるという実体のない方便を付け加える。女に「ハゲは大丈夫だけど背の低い男は無理」と言わせる。電波やネット上で、電通社員や時事通信の社員に低身長コンプを連呼させる。今回は壁ドンである。国際金融資本は、資本関係のある電波に、それが恰もJKやOLに流行しているかのようにフィクションさせる。中居に初めから勝負がわかっているプロ野球選手とのゲームをさせ、壁ドンをさせて笑いを取る。企画したのは、前田健太ではない。電通か博報堂の労働者が、国際金融資本に企画させられたのである。

背の低い男は、手足が短く、仕事が速いし病気や怪我をしないから休まず働かせることができる。すなわち、国際金融資本は、産業資本を使用して背の低い男を労働力商品として安く買い、労働を強化し、労働に付された価値を疎外することができるのである。国際金融資本は、背の低い男を怠けさせてはいけない。国際金融資本は背の低い男に労働力の再生産をさせなければならない。国際金融資本は、工作員を通じて女を背の低い男に貸し出さなければならない。

女は、学生時代は、最も身近であるが、資本の源泉たる御主人様ではない父親に経済上守られ、労働力商品の市場に出てからは、最も身近であるが、資本の源泉たる御主人様ではない男に守られ、すなわち閉じ込められてきた。労働力を再生産に応じざるを得ないという資本関係が継続しているから、社会での疎外労働を継続しない。金融資本経済の土台、疎外労働を通じた資本蓄積の過程に基づいて労働するということが困難になった。それによって、労働が疎外されているということを女に忘れさせる。後付の方便である法律、上層建築の現象や法則に基づいてしか労働、思考せざるをえなくなる。女は、経済上、その上層にある言動上、子供のままである。そういう女は、無償の性労働に応じて背の高い男を手に入れる。女の方が精神年齢が高いというのは、実体のない観念であり、方便である。

性格がいいから、価値観、優れた趣味があるから、背の低い男を選んだというのは方便である。性格、価値観は実体のない観念だからである。性格なるものは肉体には備わっていない。資本関係、生産関係、経済関係の土台、過程を通じて観念は形成される。趣味は消費するだけで、資本を増殖しない。

市場に流通している紙切れに付与された価値は、オンライン上、常に潤沢である。量的緩和をフィクションしてもー劣後資本が、財団、組合を含む投資→疎外労働をさせる→資本に付与した価値をオンライン上でプライベート預金したり、信託に出しても、国際金融資本は国債を発行させてそれを購入し、他の経済実体に投融資して疎外労働をさせたことによる利潤は劣後資本には還元されないー資本関係が強化されているから、労働者に貸し出される資本、生産手段に付される価値も増大する。オンライン上で他の経済実体の労働者の賃金に付される価値は上昇しない。トリクルダウンは、実体のない観念、方便である。

投資市場に参入させて太らせてると、投融資をして疎外労働をさせたことを土台とする利益>賃労働>家事労働、閉じ込められた性労働であるから、少子になる。

労働力再生産をして、疎外労働への復帰、又は、無償の家事労働、性労働に応じて閉じ込められるという、国際金融資本との実体のない資本関係を土台とした義務から、男と同じ労働をしても賃金には男より低い価値が付される女は、短期間で、その男又はその親が取得した資本に付された価値という観念、資本関係、疎外労働を土台にした利潤、資本増殖の過程の遥か上層にある現象を見て結婚を選び、より多くのセックス、出産することを余儀なくされたのである。そこに、国際金融によって、身長160センチの男と40歳の女はイコールという価値属性、後付の方便が付与された。

自由意思のない女は背の高い法律上の配偶者でない男との間に子供を作り、背の低い金持ち男に「あなたの子」といって育てさせることを余儀なくされる。結婚までの過程に恋愛という価値を付そうが、見合いという手段を用いようが社会には恋愛結婚なるものは存在しない。デキ婚だってそうだ。その男の親の金融資産に付された価値があるから股を開くのだ。

家庭は、資本関係を土台とした経済関係の総計である社会を再分化させた経済実体である。そこには国際金融資本との資本関係がある。架空の紙切れに付された価値に基づいて結婚したそういう女は、投融資、疎外労働の強化、資本蓄積の過程を加速する装置となっているのである。戦争への投資に加担しているのである。

金で男を選ぶというのは卑しいという実体のない観念、方便を、国際金融資本は、そこに吹き込む。国際金融資本は、電通社員に女になりすまさせて愛をフィクション、温かい家庭という実体のない観念をフィクションさせて身長の低い男に疎外労働に応じさせること、労働の安売り競争をさせることの方便にするのだ。

家庭の総資産に付される価値は増えるが、既に契約した、現実には実体のない債務を負わされて疎外労働に応じることを継続し、純資産に付される価値は増えないことに気付かないのだ。高身長の男と結婚して養われて労働力を再生産した女はバカだ。

しかし、身長の低い男と同じだけ労働力商品の価値を付与させて、より少ない労働により、疎外された労働の価値を抑えて、賃金を支払わせ、支給された紙切れに価値を付与させているだけ益しである。

賃労働をしてー労働力を再生産しなければ起業するよりも、架空資本に投資するよりも、労働力を再生産した専業主婦よりもその段階で賢いと言えるし、労働を怠けつつ、疎外された労働に付与される価値の量を減らすことに成功すれば、更に賢いであろうー「私は、男を肉体上の外形で選んだバカ女とは違う」「男に経済上守られているバカ女とは違う」言いつつ、労働力を再生産した女が最も馬鹿なのである。
それは、紙切れの奴隷になって、奴隷の道徳を無批判に受け容れているからである。いくら高学歴であっても賃金に付された価値が高くても、疎外労働をさせことによって架空資本たる金融資産に高い価値を付すことに成功したとしても池沼である。