日銀も実体は民間銀行である。

国際金融資本が発行させた国債を三井住友、三菱東京UFJが買おうと、日銀が買おうと、市場に流通する紙切れに付与される価値、日本銀行券という属性の量は変わらない。

市場に流通したことにされている日本銀行券の量、それに付される価値は常に余剰である。インフレ、デフレは方便である。

金利が低い内に借入をしておけというのは余りに短絡思考である。架空資本である現金商品の量が多くて困る会社はないとすることは、資本経済の仕組みを理解していないことである。

借入の元本に付される価値が増えれば、それだけ、国際金融資本であるロックフェラー、ロスチャイルドとの資本関係が強化されるということである。

仕事の受注量を増やして、納期を短縮し、薄利多売で売り、資本増殖過程の回転数を増やし、取引を永続反復せざるを得ない。

一労働当たりの過程が短縮されて労働を疎外されて労働力商品に付される価値は下がる。資本に付される価値の総量は増大する。

金利は疎外労働をさせたことの方便、実体のない観念である。既に、増大した価値を処分する権限は国際金融資本に流れている。

産業資本が、がっちり儲けた利益は国際金融資本に渡るのである。利益が増えれば産業資本は、国債の返済負担額が増え、労働者に転嫁される。

労働者は国際金融資本の預金という貸付けと既に前払した国債利息により債権者でありながら、してもいない借金を払わせられているのである。

所得税は方便である。

このことは連銀の設立と連邦所得税を、ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガンら国際金融資本が創設させたことでわかるであろう。

国際金融資本に渡った利益に付された価値は、民間銀行、オフショアを経由し、疎外労働に付与される価値量の大きい、リターンの大きい、実体は国際金融資本の借金である国債、戦争、石油、原子力、製薬、遺伝子組み換え種子に再投資される。

国際金融資本から借りなくても、支払手段が足り、資本、生産手段の貸出から疎外労働、資本増殖の過程が循環している会社は、借りてはいけない。

労働に付す価値を高め、労働力商品に付される価値を上げて利益に付される価値を経済上も会計上も留保しないことである。

労働者は預金をしたり、架空資本商品を購入しないことである。

労働者は、武器、生産手段、資本の貸出、疎外労働に応じないことである。

子供を作らないことである。

延命して長生きしないことである。

預金や架空資本と引換に渡した現金商品ーこれも架空資本であるがーは、国債、戦争、石油、原子力、製薬、遺伝子組み換え商品に再投資されるのである。

資本に付される価値の蓄積が停滞していたり、減退している会社は、既にしてしまった借入のリスケジュールをして、一番最初に労働債務を給与で全て支払って、赤字決算を続け、破産なり清算なりしてしまえばいいのだ。

紙切れに価値をフィクションして投融資を源泉にして、疎外労働をさせて、資本増殖をするという過程を停滞させ、国際金融資本が紙切れに価値を付すことを躊躇させることによって、国債をフィクションして価値を付与することを諦めさせ、国際金融資本が労働せざるを得ない経済関係に追い込むことである。

日銀の資本は、国債に相当する枚数の紙幣を刷るわけではない。ロックフェラー、ロスチャイルド、モルガンを含む数十の経済実体である本家が、紙切れを発行したことにして価値を付与してオンライン上の数値をこしらえる権利が、日銀との資本関係を土台に付与され、数字をこしらえているのであって、

貸出した価値が回収できなくても資本不足にはならないから、国債を返済することができるから、また、オンライン上に記載された価値が増えれば増えるほど、国際金融資本は資本に付す価値を増殖できるから、紙切れの量的緩和に限界は存在しないし、貸し渋りもしない。

架空資本に付される流れを一の経済実体に集中させることによって、日本銀行、ドル(第一の使用人は、ロックフェラー)、ユーロ(第一の使用人は、ロスチャイルド)といった紙切れに付される属性を一本化し、中央銀行を含む民間銀行、偶像である国家を統合し、再投資をして疎外する方が、国際金融資本はその資本により大きい価値を付すことができ、民間銀行との資本関係を強化できるからである。

現実に国際金融資本が架空資本に付された価値、貸付金という属性を回収できなくなって金融業界の再編をするのではない。銀行決算や大企業の決算数値は方便である。リスクは実体のない観念である。資本の循環とそこに価値が付される過程にない安倍や日銀総裁に資本経済のイニシアティブを取れるわけがないだろ!。安倍と日銀のチキンレースなどではないのである。