経済利益、資本増殖は交換によって実現するのではない。資本同士が、使用人の労働を疎外することで生産、引渡し義務のある商品に付された価値を懐に入れ、労働力商品と架空資本である現金商品を交換し売り手の資本が手にした現金商品に価値属性が付与される。

金融資本から借入をするのは資本である。そうしてみると、資本関係上、経済関係上、実体関係上、労働現場に言って労働をしなければならないのは、最も高い価値を懐にいれている国際金融資本、その次が融資を受けた資本であって、資本に代わって使用人が資本、生産手段を貸し出されて労働現場に生かされて労働をさせられているのである。

オーナー役員を含めた使用人が短時間で一つでも多くの現場に言って労働することは、労働者が資本の資本増殖の過程に基づいて、経済過程を進めさせるということである。

労働上のノルマと労働過程を規定することを労働者にやらせて資本を一層増殖させて国際金融資本、資本にそれを受け取らせるということは、オーナー役員の職務を労働者にさせて、当該労働をも疎外して無償で労働させるということである。

そこに気配り、賢い使用人という実体のない観念を込めるのだ。

就業時間外に無償労働の訓練をさせて、ホワイトカラーエグゼプションが成立すれば、無償労働を実体上社会に認めさせることができる。

オーナー資本は国際金融資本は従前より多くの駄賃がもらえるのだ。そりゃ、楽しくて仕方がないであろう。現場労働者よりも高い価値属性の付与された労働を無償でやる。

すなわち、疎外労働の量が現場労働よりも大きい労働を引き受ける。

資本から給与から天引きされ、賠償義務を負わされ、労働者でありながら管理者の価値属性が付与される。実に阿呆らしい。