配偶者控除の廃止は見送りとなったが、大綱の成立過程においては夫婦の一方の収入に関係なく一定額所得控除を認めるという夫婦控除も議論されていた。既婚者は言う。「俺たちが払った税金でお前ら独身者を養うのは嫌だ」と。

しかし、現実には、独身者が、既婚者と既婚者の子すなわち国際金融資本にとっての労働力を養わさせられているのである。女が労働をすることにより、国際金融資本とその使用人である男からの閉じ込めから解放され、労働を労働力商品という方便を用いる資本経済の基では疎外労働の総量が増えて資本増殖の量が増えるが、労働力の再生産をしないことで資本増殖のプラスを増加させないことができる。

労働力の再生産が滞ってきたので、女を労働力商品にして労働市場に送り込む数を増やすことを経済上余儀なくさせ労働力再生産の減少分を埋め合わせるようにした。それにより労働者に国債の元利の返済を従前より負担させることができる。

女は、男に比べ労働力商品として安い価値属性が付与される。独身者は家族構成による控除は基礎控除だけである。生活上の収支は欠損でも所得税は課される。女は男に抱かれざるを得ない。

男の両動力商品の価値属性も安く付与されるようになった。

生活上女を貸し出され抱かざるを得なくなった。

夫婦控除によって恩典を与え、経済関係の総和たる社会を分割し、より多くの家庭という経済実体を増加させ、労働力の再生産をさせ、疎外労働の増加とその永続が行なせることを国際金融資本は余儀なくされているのである。

国際金融資本は実在しない神をフィクションし、子宮がある肉体に母性本能という実在しない価値属性を付与し、血は水よりも濃いという実体のない観念を労働力の再生産の後付の方便として用意したのである。

女は、金持ちに股を開いて専業主婦をするのでは現実の労働関係、経済関係は変わらない。国際金融資本には民間銀行を通じ中央銀行の架空資本が交付され、架空資本が石油、原子力、戦争、製薬、添加物食品に投融資され続けるのだ。

女は、独身労働者ー国際金融資本が投融資する銀行から借入をしていない労働者は、国際金融資本に債権を有しているーの無税と労働力商品の価値ではなく、現実にした労働の価値が金に付与される運動、労働を安売りしないことをしなければならないであろう。

子供達が独立した経済実体として生きることができる社会であるならともかく、現実では、その親達には民間銀行を通じて中央銀行の架空資本が付与されておらず、子供たちはプチブルの装いを持つことができてもユダヤ資本の奴隷として生きるしかないのだ。

「愛する人との間に子供は欲しいの」とほざいている女にほのぼととしてはいけない。そんな女はただの花畑けのエゴイストだ。女には、労働力の再生産という資本経済上の義務に応じないことである。