女優やモデルをやっている水原希子が、インスタグラムにフォトグラファーをしているリナ・シェイニウスが撮った、大陰唇が完全に隠れていない、ワレメに食い込んだパンツの上に虹がかかっている画像を投稿したところ、この写真をめぐって芸術か下品か、読者ー国際金融資本が投融資している電波の社員が書かされていると思われるーの意見が分かれている。

ワレメは、マンコを閉じる、資本が規定した男で言えば包茎チンコの蓋、便器の蓋にすぎない。セックスするしないは資本関係によって規定されるのであって意思によって規定されるのではない。

借金が返せないから子供を作る。資本を増殖させなければならないから子供を作る。労働が疎外されて、労働力商品に低い価値属性が付与されるから男に抱かれざるを得ない。

人間にはセックスしたいという本能は備わっていない。資本、労働者問わず、経済実体たる人間は、幼少の頃から、糞尿にまみれた膣口にチンコを突っ込むこと、他の女の膣を通過したチンコ、恥垢のついたチンコを受け容れる訓練をしてテクニックを会得し、資本が規定した実体のない観念たる本能論、道徳を拠り所に気持ちがいいものだと納得させてきたのである。

セックスによる快楽は幻覚にすぎない、すなわち実体のない観念なのである。セックスにより妊娠してできた子は、その親が中央銀行を所有する民間銀行の架空資本が付与されていないから、疎外労働を余儀なくされ、セックスは労働力の再生産の過程ということである。

ワレメには芸術、下品、エロティシズムという価値属性は備わっていないのである。性器に品格、品性など備わっていないのである。

観念、意思に基づいてセックスをするのではないから、性器の写真を見て芸術だ、下品だ、エロティシズムだと論ずることは実益がないのである。資本が規定した労働を土台にした属性付与である職業、性別にかくあるべきという価値属性は備わっていない。

女優やモデルであるから性器の一部が露出している写真を投稿してはならないという理由にはならないであろう。

先に資本、経済があって社会、それから評価であろう。国際金融資本であっても、資本関係によって、既存の資本増殖過程に基づいて検閲して掲載させるさせないは規定できても、芸術か下品かエロスかキモいかという実体のない観念であるから、観念に基づいて写真の掲載について処分を行うことはできないのである。性器の写真を見て芸術だ、下品だ、エロティシズムだと論ずることは、資本が創造した奴隷の道徳にどっぷりと毒されているのである。