結婚は法律上義務づけられていない。
これは人民の人権が考慮されたからではない。
恋愛感情なく性労働に応じることを受忍することがないように配慮してものでも、結婚せずに働き続けたることや共働きで子供無しの夫婦や事実婚に留めておくことを認めるという多様な生き方が認められるようになったあらではない。
戦争の反省から人民の人権が認められるようになったと考える人がいたらそれはお花畑の思考である。
国際金融資本は、唯物論者である。法律で結婚を義務づけなくとも、男に金を貸せば、その男は生存して元利を返済せざるを得ず、生殖による労働力の再生産を行って子息を担保名目で提供することに応じざるを得ないことを知っている。
法律で結婚を義務付けなくとも、資本が規定した性別を問わず、その者の親に借金があればそれを国際金融資本と親の資本関係、親子間の資本関係から承継せざるを得ず、生殖を行って労働力を再生産して資本を増殖せざるを得ないことを知っている。
結婚や相続は国際金融資本の中央銀行の所有の固定化の装置女となるのである。
女の給料を搾って出産後も復職できなくしてやれば、福祉施設に投融資しなければ、女は男に抱かれざるを得ないことを知っている。
男女に生活保護を与えなければ結婚して生殖せざるを得ないことを知っている。
国際金融資本が税負担をしていれば国庫は赤字でないこと、中央銀行の当座預金の準備金制度と紙幣発行権の実体関係の存在を教えずに、財政赤字をアピールすれば労働力の再生産を行うことに応じることを知っているのである。