[事実関係]
音響機器等の製造販売等を営む原告法人Xは、昭和56年5月21日から昭和57年5月20日の事業年度までの事業年度末において、アメリカの子法人であるA会社の株式総数の98,96%にあたる株式19万9,400株を保有するに至り、その帳簿価額(取得価額)は、1994万ドル(45億円強)であった。本件株式は非上場で相場のない株式であり、上記の内、9万5,000株は債務超過状態にあったA会社が上記の事業年度の初頭に行った第一次増資(950万ドル)の全部を取得したものであった。
Xは上記の事業年度の確定決算において、Aの資産状態が著しく悪化し本件株式の価値が著しく低下したとして、本件株式の帳簿価額をゼロ円に減額するとともに、減額した金額を損金に算入する経理をして、法人税の確定申告及び欠損金の繰戻しによる還付請求を行った。
税務署長は、当該損金算入を否認して更正処分及び還付請求に理由がない旨の通知処分を行った。
裁判所は、
「法人税法は法人の所得計算について商法や企業会計原則とはかなり異なった規定を置いている。これは、税法は担税力を適正に評価して公正な課税を実現することを目的とし、他方で種々の政策目的の実現を課題とすることも少なくない上に、課税技術上の要請も考慮する必要があるからである。
したがって、商法や企業会計原則の資産評価の定めと法人税33条の規定とを同列に置いてその要件を比較するのは必ずしも当を得ず、同条2項の損金算入を認める場合の要件について同法の趣旨目的に照らして理解されなくてはならない。
①法人税法は資産の評価損の損金算入を原則として認めていないから、その例外である資産の評価損の損金算入を認むべき特定事実についてはこれを限定的に解するのが自然であること、
②政令で定める特定事実は、災害による著しい損傷と同程度ないしはそれに準ずる程度に資産損失を生じさせるような状態であると考えるのが一般には相当であり、しかも、右の事態については、資産の減少は、一時的又は回復の見込みがないとはいえない状態ではなく、固定的で回復の見込みのない状態ないしそれに準ずるような状態であると解されること、
③法人税法は、評価益の算入を認めていないので、一時的あるいは回復可能性がないとはいえない有価証券の価額の低下の場合に評価損の損金算入を認めると、その後仮に価額が回復したという場合に、これを税務会計条益金としてとらえることができず、容易に利益操作、租税会費を認めるのと同様の結果になるなどからすると、有価証券の価値が著しく低下した状態というのは、帳簿価額で評価されている有価証券の資産価値がその帳簿価額に比べ異常に減少しただけでは足りず、その減少が固定的で回復の見込みがない状態にあることを要するというべきである。
これによれば、有価証券の価額の低下をもたらす原因事実である発行法人の資産の悪化についても、その悪化が固定的で回復の見込みがない状態にある場合に初めて著しく悪化したというべきである。
評価損の損金経理を行うXが、特定事実である評価損損金算入要件の各事実の存在につき主張立証責任を負うということは、必然的に、右各事実につき回復の見込みがないことについても主張立証責任を負うことになる。Xが、第一次増資当時、Aに対し少なく見積っても第一次増資程度の経済的価値を認めていたものといってよい。
さらに、Xは、第一次増資の約1年1か月後に1,985万ドルの第二次増資に応じ、その翌々期には1,200万ドルの第三次増資に応じているのであり、右第二次増資は、第一次増資の時点において、既に相当の蓋然性をもって予定されていたものと予定されていたものと推認され、また、本件評価損の時点のころには、計画として具体化していたといえるし、第三次増資についても、右時点においても、右両時点で全くもって予定していなかったものとは言い難い。
そうすると、Xは、Aに対し、第一次増資当時、第一次増資の払込金だけではなく、第二次増資の払込金、場合によれば第三次増資の払込金をも併せた額と同程度ないしはそれ以上の経済的価値を認めていたものと言い得ないわけではなく、Xは第一次増資及び第二次増資あるいは第一次増資ないし第三次増資による相乗効果の基にAの体質改善を意図していたものといっても過言ではないと考えられる。」とし、
本件株式について、
「極めて長期に亘って保有が前提とされているような株式については、評価損の計上もかなりの長期的な見通しを考慮して行われるべきであり、したがって、評価損損金算入要件の資産状態の著しい悪化についても、同様の考慮がされてしかるべきである。
少なくとも第一次増資から11か月を経たにすぎない本件評価損計上の時点のころにおいては、単に数額のみに着目すると資産の状態の悪化が著しいとの見方もあろうが、もともとその時点の状態は、Xにおいても十分に予測可能といわば予定された状態ともいうべきであり、以後、第一次増資のころから相当な蓋然性をもって予定されていた第二次増資と相俟って、Aの資産状態は、長期的な見通しに立つ限り、全体としてみると、改善される方向にあったといってよい。
しかも、先に述べたように、XがAに対し、第一次及び第二次あるいは第一次ないし第三次の各増資払込金を併せた額と同程度ないしはそれ以上の経済的価値を認めていたといってよいことから考えると、単に数額的に債務超過にあり又はその債務超過の額がある程度増加したからといって、その債務超過の状態がXにとって予測し難い新しい事態によって発生したなどの特段の事情が認められるのであれば格別、右事情が認められない本件にあっては、評価損損金算入要件の資産状態の著しい状態が生じたものと判断するわけにはいかない」とした(東京地判平成元年9月25日)。
[解説]
経済実体の内部留保、架空資本の回復の見込み、悪化が予測できたか否かというのは実体のない観念であるから、事実確定の土台とはなりえない。意図、価値を認めていたか否かは実体のない観念であるから事実確定の土台とはならない。
法人には体質という属性は備わっていない。株式には長期保有という前提は備わっていない。架空資本には価値属性は備わっていない。現金は物差しではない。現金は尺度ではない。資本は、架空資本を所有し、現金を貸与して、投融資された経済実体の労働を疎外することにより、疎外した労働を資本に転嫁することを余儀なくさせ、架空資本を交付されているだけでキャピタルゲインを産んでいるのではない。
投融資に効果があるといのは実体のない観念である。資本の留保現金は、疎外された労働を資本に転嫁する過程の継続反復によって累積し、労働者よりも租税を負担する土台を有している。利益操作、租税回避、それらの効果は実体のない観念であり事実確定の土台とはならない。
疎外された労働が転嫁された資本については、民間金融機関の架空資本の所有を通じた中央銀行の紙幣発行権、準備金制度の取得の過程についての既存の実体関係から、中央銀行を所有する民間金融機関を所有する国際金融資本によって疎外され、内部留保、架空資本に価値属性が付与され、利子、配当、租税の名目で現金商品は回収される。
全ての経済実体は、国際金融資本との資本関係から、商品、経済実体の資本名目の労働を安く仕入既に疎外された労働を転嫁済の資本と引き換えに現金商品を取得し、国際金融資本との資本関係から価値属性の付与を受けざるを得ない。
値下げを余儀なくされた経済実体、高く購入せざるを得なかった経済実体は、値下げや仕入の支払いを労働者に転嫁する。現金商品、架空資本があるか、架空資本、資本関係から売らざるを得ない商品、生産手段にせざるを得ない固定資本の存在から、生産手段を購入し、担保名目で架空資本、固定資本を国際金融資本に所有されることにより投融資を受け、労働を疎外し、疎外した労働を資本に転嫁せざるを得ない関係があるから、投融資を受けた経済実体は存続を余儀なくされ、貸倒れが実現しない。
国際金融資本は紙幣発行権、準備金制度を所有しているから現金不足になることはない。投融資を受けている経済実体の架空資本の評価減を、紙幣発行権、準備金制度を取得する過程についての実体関係の存在から、民間金融機関の所有を通じ中央銀行を所有する国際金融資本との資本関係から実体あるものとすることができない。
税法は、中央銀行を所有する国際金融資本との資本関係から、紙幣発行権、準備金制度を所有しない経済実体の資本関係、経済関係、生産関係を疎外して規定され、税法の目的と交渉することにより、現実の留保現金から乖離した租税が回収される。
租税の支払いは現実には労働者に転嫁されている。司法は、税法の目的と交渉して限定して法解釈することの問題提起の全体化を自然という語を用いて宗教学により疎外し、現象ではなく現実の資本関係を根拠として評価減の否定という帳簿事実の否定という事実確定をせずに、評価減の否定という帳簿事実の否定をしている。