所得は、自社及び他社の労働者から搾取利得を土台に、確定決算という商法上の行為を通じてそれが正しいものとして社会に認めさせる。生命の土台となるのは経済であり、パソコン、ソフトウェア、労働力といった生産手段の生産量の土台となるのは、すなわち規定するのは経済である。学習する時間を金を規定するのも経済関係、生産関係である。また、上記の経済関係生産関係に加え、事業年度が1年、申告期限という時間という社会的制約があるから、全ての取引について知り、各々の取引につき全ての事実関係を把握するには限界があるから、租税回避、利益操作の意図といった唯心論に関係なく、全ての経済関係に即した確定決算書は存在しえない。所得は、決算確定後、政治、租税法律を媒介に、金融資本家及び金融資本家たる産業資本家が社会に認めさせることに成功したものであり、すなわち、資本家に経営者が見積もった納付税額を資本関係、生産関係、経済関係を土台に法律、政治、資本経済の下部機関たる国家をを媒介に、再計算することを認めさせたのである。納税者が自由意思で所得を確定するわけではない。納税者に所得が帰属するのではない。所得に納税者が帰属するのである。よって、国家という下部組織を雇用しているのは資本家であるという事実や現実の担税力については斟酌されていないのである。