推計課税に関して、税務争訟において実額を納税者が挙げることができるかが問題となる。

実額課税の方が現実の所得、その基となる留保利益、経済関係上の事実、事実関係に則している。

推計課税は、課税の土台となる経済関係上の事実、事実関係に実体がない。課税の土台、過程に鑑みれば、実額は推計を破る。白色申告者には、更正処分の理由附記が課税側に義務付けられていなかったから、更正処分が実額により行われたのか推計により行われたのかがわからない。

白色申告者においても、原始記録を調査することにより現実の所得を把握し、理由は具備するのであるから、記帳の程度によって理由附記の程度が後退する原因とはならないであろう。推計を手段とする更正処分は、理由附記が通知書自体において推計を行わざるを得なかった理由、具体的な推計の方法、推計による課税所得の算定過程、帳簿記載を否定して事実確定するだけの、全ての事実関係の摘出に基づく資料、推計に用いた資料を摘示したものであることが土台となる。

よって、推計の方法、課税手続きについて異議申立て、審査請求、裁判において争われることになる。

申告義務は納税者側にあり、実額を挙げることは納税者の立証義務であり、課税側の立証義務を土台とする反証ではない。

納税者の側が課税庁の推計方法、現実の経済関係上の事実と異なることを主張したり、現実の経済関係上の事実に基づいた推計方法を主張することはできると解される。

納税者の立証義務は、課税側の推計に現実の経済事実と異なる事実が1つでもあり、課税側に全ての事実関係の摘出、全ての問題提起がなされず、推計に用いた資料の1つに納税者の現実の経済と異なることがあれば、課税庁の認定した事実の全てが現実どおりというわけはないということを挙げ、裁判官に意思はないから、裁判官が、経済関係を土台とする法律上処分を確定しえないことで足りる。

時機に遅れた攻撃防御の手段として、納税者の主張を認めないとする課税側の解釈によって、裁判所は納税者の主張を排斥することはできないと解される。

課税は所得に基づいて行わざるを得ず、所得に基づいて納税せざるを得ないのであって、課税する側、納税する側に自由意思はない。

よって、信義は実体がない。納税者が訴訟の場で帳簿書類を提示することや納税者の主張を封じる、課税側の、実体があることを認めさせることに成功していない証拠の属性の付与された資料により事実を規定できないことは信義誠実の問題ではない。

裁判例には、実額証明につき、収入金額と個別摘な関連性を明らかにするか、他に売上が存在しないことを明らかにしなければならないとするもの(大阪地判昭和62年8月6日、東京地判平成元年11月7日)、事業に関する経費としてある金額を支出していることが認められるのであれば、その支出が事業による収入金額と個別に対応する必要経費に該当するか否かの疑問に余地があっても、その支出金額を一律に必要経費として認めないことは相当ではないとするもの(東京地判平成3年12月19日)がある。

課税関係の現実と過程に鑑みれば疑問という実体のない観念に基づいて課税することはできない。納税者は全ての売上を経済を土台とする法律上の権利義務上を提示せざるを得ないから、それを申告したことで証明し、他に売上があるとすることは調査権を有する課税側による帳簿の否定であるから、調査により他に売上がなかったということは課税庁に立証義務があり、現実に支出があったことは課税側の主張する所得が現実から乖離しているということで、実額をもって証明することであるから申告義務者たる納税義務者にあるということになるであろう。

金融資本家と全資本家の資本関係、金融資本家と税務行政機関との生産関係により、納税者の経済関係を疎外して担税力に基づく所得により課税し、徴収した現金に価値属性を付与することで所得が実体があったということを社会に認めさせるという課税関係の過程に鑑みれば、全ての事実関係を把握し確定して処分理由を確定しなければならず、裁判の過程において、更正処分とは別の推計方法を裁判所や課税側が主張して事実の認定を維持することはできないということになるであろう。