[事実関係]
織物、繊維製品、雑貨の売買及びその貿易を業としていた法人が、子法人に3年間に限り、4,000万円を限度に無利息貸付を行った。税務署長は、原告法人が子法人に無利息貸付をしたことにつき、その利息部分を寄附金と認定し、寄附金の損金不算入により更正処分を行った。
判決は、
「金銭(元本は、企業内で利用されることにより、これについて生ずる通常の果実相当額の利益をも享受しうるものであるというところ、右金銭(元本)がこれを保有する企業の内部において利用されているかぎりにおいては、右果実相当額の利益は、右利用により高められた企業の全体の利益に包含されて独立の収益としては独立の収益としては認識されないけれども、これを他人に貸し付けた場合には、借主の方においてこれを利用しうる期間内における右果実相当額の利益を享受しうるに至るのであるから、ここに、貸主から借主へ右利益の移転があったものと考えられる。
そして金銭(元本)の貸付けにあたり、利息を徴するか否か、また、その利率をいくらにするかは、私的自治に委ねられている事柄ではあるけれども、金銭(元本)を保有する者が、自らこれを使用することを必要としない場合、少なくとも銀行等の金融機関に預金することによりその果実相当額の利益をその利息の限度で確保するという手段が存在することを考えれば、営利を目的とする法人にあっては、何等の合理的な経済目的も存しないのに、無償で右果実相当額の利益を他に移転することは通常有り得ないことである。
したがって、営利法人が金銭(元本)を無利息の約定で他に貸し付けた場合には、借主からこれと対価的意義を有するものと認められる経済的利益の供与を受けているか、あるいは、他に当該営利法人がこれを受けることなく右果実相当額の利益を手離すことを首肯するに足りる何らかの合理的な経済目的その他の事情が存する場合でない限り、当該貸付はなされる場合にその当事者間で通常ありうべき利率による金銭相当額の経済的利益が借主に移転したものとして顕在化したといいうるのであり、右利率による金銭相当額の経済的利益が無償で借主に提供されたものとしてこれが法人の収益に認識されることになるのである」とする(大阪高判昭和53年3月30日)。
[解説]
資産は引き渡しただけでは、収益は実現しない。現金を留保しているだけでは現金留保を産まない。現金留保を投下し、労働を疎外して現金留保を産む。
無償譲渡から、又は低廉譲渡の場合には、現金を収受しなかった部分の金額から収益が生じて、その収益を原資に現金を贈与するのではない。
中央銀行を所有していない納税者が、譲渡によって得た留保現金がないのにどうやって譲渡による現金留保から贈与するというのか。無償部分から収益が生ずる又は実現するというのでは、資産の代金を収受したことによる収益にそれが加算されて、現実の経済関係とは乖離する。
金融資本家は、納税者が現実に留保した現金その土台となる現金の投融資すなわち資本関係を疎外して、金融資本家の現金留保義務を土台に時価が規定され、納税者が時価に基づいて交換した場合には、それに基づいて現金が留保できるが、それに基づいていなかったとしても、現金と交換された資産の価額は、金融資本家との資本関係に基づいて規定された時価ということになることを、法人税法を使用して社会に認めさせているというのが現実である。
法人は、労働の疎外により税負担を転嫁させている。金融資本家は、納税者に経済上の損失を与えることに成功しなければ、損失を免れて部分を土台に、生産関係を使用して、課税を行わせ、国債を引き受けたオフショア金融機関を所有する金融資本家へ還流させる。オフショア対策税制の問題がこれを土台に存する。
貸付を行う側の未収債権の取得代価についての債務(未払金)は、現実には、貸付金の時価すなわち簿価に貸付利息を加えた金額である。
融資を受ける側が現金の取得に要した債務は借入金の時価すなわち借入簿価に借入利息を加えた金額である。貸主は、 貸付債権を用いて貸付債権取得債務を弁済した。 借主は、未収現金を用いて借入金を弁済した。
無償譲渡した場合又は低廉譲渡をした場合の、時価と現実の利息収入の差額は、寄附金ではなく、未収利息である。
利息の支払を免れることにより現金を留保した法人は、その法人の資本家がした投融資を源泉とした法人の現金留保を、法人の現金留保義務に基づいて使用できないし、資本家との資本関係から法人に自由意思はない。
未収利息を徴収しないのであれば、その部分の金額は、利息支払を免れた法人の資本家への現金配当ということになるであろう。
無償又は低廉譲渡の無償部分の金額から利息や配当といった収益が譲渡をした側に生ずる、実現するという見解は、現金を投融資したことを手段に実体のない投融資をした者の利益すなわち現金を得るという金融資本家の目的を正当化することの土台と、現実に労働を疎外してきたことへの金融資本家の逃げ口上を与える土台、装置となる。金融資本家が預金や産業を行っていれば得たとする経済利益、現金留保を、貸付けにより手放したとする経済利益、現金留保、は実体がない。
営利目的、合理的な経済目的の目的も実体がない。理論や法則に合致するかは現実の経済から離れた議論である。
現実の経済関係を土台としない事実確定の仕方では、現実の実現した現金留保と、所得の土台となった、実体のない現金留保の違いが、金融資本家がした現金投融資により規定された時価によるものであり、現金を交換により取得することで利息という、投融資した現金に備わっていない、資本関係により現金に付与された価値属性を、取得した現金に備わっていないかった、資本関係により付与した価値属性を、実体があるものと法を通じて社会に認めさせて、現実には、投融資した者が配当を現金で得て留保しているという、現実には留保を得ていなくとも資本関係、資本家の現金留保義務により、留保得ているさせられている現実の経済関係上の問題を摘出できないのである。