経済は競争を土台としていない。経済は奢侈を土台としていない。競争や奢侈といった効果を期待した意思、目的を含むものに基づいていない。効果の期待は実体がない。人間には本能なるものや、属性は備わっていない。

本能や属性は実体がない。競争は本能、属性として備わっているものではない。経済の土台は経済関係、資本関係、所有関係、生産関係であり、これらの関係の土台は現金である。これらの関係によって規定された経済に基づき、紙幣発行権をはじめとする権利義務、法の創設という過程がある。

権利義の履行に自由意思は介在せず、資本関係、経済関係、生産関係により契約を行わざるを得ず、ブルジョア経済学者が意思決定と呼んでいるものは、現実には経済上、法律上の権利義務の確定、契約の内定である。

契約に規定されたことは、法形式ではなく社会に認めさせられた経済実体である。契約は形式ではなく、手続きである。

人によりではなく、経済関係、資本関係、所有関係、生産関係、権利義務により競争せざるを得なくさせられている。人は手段であり、使いっぱである。

競争には金がかかり、金融資本家から投融資を受けざるを得ない。金融資本家を利する。競争には、全資本家を所有する金融資本家、劣後金融資本家、産業資本家、これら資本家に所有された労働者が、人として自ら規定した意思、自由意思は存在しない。

現実には、既存の現金、その上層の経済関係、資本関係、所有関係、生産関係により、権利義務、所有が規定されるから、自由意思でこれらを手放すことができず、階級が固定される。