法律は、資本家の経済によって規定され、使用人側の経済を変形させる暴力を所有し、法に従う従わないの自由意思の介在はない。生産関係にしろ、他の資本家との経済関係にしろ、使用人の側の経済関係は変形させられる、、資本家側の経済は、法律によって経済関係に影響を及ぼすことはない。
課税が行われるのは、所得であり、所得の源泉となる売上は、引き渡す物に資本家の内部留保プラス経営者の生活費プラス労働者の生活費すなわち労働力商品に価値という属性を込め、現実の分配とは異なった見積金額であって、この売上金額を土台に課税を行う。人の心に課税を行うのではない。経済を規制するものは何かというと、資本家共通事務取扱機関である国家でもなければ、法律でもない。現実には経済を規制するものは何も存在しない。法律の条文のみを追いかけていたり、裁判例という法則、現象のみを追いかけていたり、資本家と労働者の関係、資本家と国家の関係を第三者のあるべき姿に基づいて美しく描いてしまうと、現実の経済関係から乖離したものとなり、すなわち、経済的利益を享受していない者に課税が行われうるのである。
人間はそのイデオロギーや意思に基づいて、行動するわけではなく、イデオロギーや意思に基づいて行動しえない。所詮は、上層の問題にすぎないから、資本主義思想を所有するか、共産主義思想を所有するかは各人の自由である。嫌いな人は、無理に資本主義や共産主義について好きになる必要はない。但し、経済問題について考えるに当たり、唯物論によって、経済取引を把握し全体化し、問題提起を全体化していかないと問題の建て方を誤ってしまうのである。