小規模なテロ集団が、自らの資金だけで桁違いに金のかかる戦争など自由意思で行いえない。テロとの戦いは欺瞞である。また、戦争は、政治家や官僚の利権などのちっぽけな金額の問題ではない。桁が違う。日本、米国、中国の資本家たちは、経済関係を土台に結ばれた僕達仲間である。

資本家が、他の資本家の労働者のからどれだけの量の搾取を行ったかの競争で、資本家間同士で搾取し合っているわけではない。テロルはフィクションで、資本家自身の懐に入る見込みであった労働者の搾取による利得が他国の資本家に入った分を他国の資本家に支払わせ、トータルでみれば、Winwinの関係になるのである。自称テロルの段階かその前でいくら支払うか、支払が免除されるかが交渉又は確定されている。

搾取利得の調整にとる利得とプラスアルファ戦争による貸付利息という方便による利得である。労働者には搾取された金銭は返還されない。戦争になったとしても、中小企業や町工場や軍需工場は破壊されても、労働者搾取の源泉となるオフィスや銀行は破壊されない。タックスヘブンは攻撃を受けない。仮にオフィスが破壊され国土が焼野原となっても、金貨と紙切れがあって、株券、公社債に信用という属性を込めて投資、貸付けを行えば、資本家は、内部留保が蓄積できる。日本の搾取の源泉となっている労働者が死滅しても、他の国家の労働者に兵器を製造させることができる。戦争を行えば行うほど資本家は富み、労働者は貧困になる。労働者が、ブルジョア学者やプロバガンダを見て、ウルッときて、力瘤をこめ勇んで戦争に参加すれば、労働者は死滅するか生きて貧困のどん底にあえぐことになる。国家は金融資本のフィクションした子会社のことである。

方便をタレ流した資本家やブルジョア学者らも、それを真に受けた人民も、「ボクラ大国民」、オナニー大会の始まり始まりである。戦時中の学徒や労働者は、家庭を含む土台となる経済構造の把握、、問題提起の全体化を怠り、法を媒介にした経済的権益を社会に認めさせるというプロセス、労働者に権益が与えられれば、自由意思に基づく自己責任が負わされ、さらにそれが義務に転化すること資本家に強制されるまま、軍に志願した。経済関係に屈して、軍に志願した。マルクスをはじめとする文献を読んでいても、現象や法則でしか経済関係を捉えていなかったのである。戦争で命を落とした者など美しくもないし、尊くもない。こう言うと英霊を冒涜する気がとの反論を行う者が必ず存在する。あるいは、戦争に反対される前に占い師や霊媒師を使用して天罰でとか地獄という概念を用いて唯心論者に恐怖心を与える。空気を読めと言われた元首相は、空気が読めたからあの若さで首相になれたのであるが、資本家は、労働者に空気を読めと罵倒して反論を封じる。天罰も地獄も存在しない。死ねば資本家も労働者も灰になるのだ。実在しないのだ。 だから、労働者には戦争に行って欲しくないのだ。