大阪市長は、市の職員に対し、労使関係に関するアンケート調査を氏名、職員番号の記載をさせ回答を義務付けた。歴代市長が労働組合の顔色を窺っていること問題にするが、労使間の交渉を封じることや労使関係に関するアンケートは、生産関係上、経済関係上、社会関係上の問題点を封じることなのだ。とても社会科学者の行う行為ではないであろう。

使用人公務員を叩いて民営化の必要性を説く、規制を緩和して公務員の賃金を絞る、使用人に痛みを強いるという論法は、郵政民営化の時の小泉と同じである。公務員賃金の削減は、郵政民営化のケースと同様、市場原理主義者に立脚するブルジョアからの内部留保拡大要請である。

ギリシアの財政破綻を例に出すが、国債の債権者に支払利息をは支払う義務があるから、税収を増加させるとともに公務員の給与を下げる。給与水準が下がれば税収を上げることはできない。EUに公共事業に融資させ、債務を増加させ、グローバル資本が公共事業を買い取るという構造が成立しうる。日本軍が戦時中アジア諸国で行ったインフラ工事と同じ構造である。

国及び地方公共団体が財政上破綻した場合、資本家への配当、すなわち、ここでは、資本家大企業への補助金削減、役員の給与、ここでは知事、市区町村長の給与が削減する必要があるとされる議論が成立する余地がある。使用人給与、ここでは、公務員の給与は、業績、財政上の事実関係によって削減する必要がないのだ。使用人たる公務員は、民間企業と同様、資本家、役員の命令に応じて動いている所謂他者だからである。

公務員は、人民の税金で生活しているのであるからといって公務員の義務を強化し、賃金削減を求める議論があるが、経営責任の所在は、資本家、知事、公共団体の長を使用する国際金融資本にあるのだ。新社長であっても、前代表の債務を負うのだとされることがある。それは現実の労働を超えるおこぼれの分である。資本家の命令によって役員も動くのであるから、資本家にも債務があるとされることがある。資本家の命令が非科学的なのだ。

税金で養われているのは、大企業資本家、その役員たる知事、地方公共団体の長である。憲法の労働者の権利論は、権利というのは、いわば、経済関係という土台の上層に存在するもので、経済戦争の勝利のゆえに取得するものである。権利や権力といったものは、経済関係の上層にある法律や政治を用いて土台となる経済関係を作りかえることである。事実上の経済的利益を得る関係を法律行為により排他的な経済関係を形成するから、権利の取得者の主張の根拠は、経済関係から遠いから弱く、現実に暴力としての側面を強化するから、その行使に当たっては、要件を定め手続を踏んで、すなわち、事実認定と問題提起と仮説推論の全体化を行って、権力行使の根拠を示す必要がある。このような手順を踏まなければ、ブルジョアは、労働者に生命を維持させ、内部留保を蓄積して共通の事務を司る機関を媒介に税金を徴収したり、配当や利息を徴収することができないのである。

弁護士のいう権利論は、労使問題の根本は解決しないであろう。法律も経済関係の上層にあるものであるから、ブルジョア権力は、土台を変えれば、いつでもその解釈を変えられるのであるから、彼らは、法律が絶対だなどとは思わないのである。