愛国心を法律に盛り込むことの何がいけないか。個々人が誰を愛そうがどの宗教を信じようがかまわない。ブルジョアを愛することを義務付けることがいけないのである。それに基づいて経済社会を動かすことがいけないのである。ブルジョアは、自分達の反対者に思考することなく自分達に賛同することを求め、賛同しないでいると、全てのことに反対する、否定する、常に反対することから始める、とレッテルを貼り、反対者を抑圧する。反対者にブルジョアを愛することや宗教を強制することは、既存の経済関係社会関係に関する問題点の全体化ができないから、すなわち、全ての問題点を指摘して議題に乗せることができないからである。ブルジョアを愛する心という、宗教を信じるという唯心論すなわち経済関係、社会関係の拠り所を心理に求めることは、既存の経済関係社会関係から離れて経済社会を動かすことであるから、非常に土台が脆弱である。日教組の先生は、愛国心は戦時中を想起させるだとか、戦争への道を突き進むだとか上層だけで、愛国心教育に反対し、それでいながら、生徒達には、アメリカが日本にした選挙操作のごとく、反共を叩きこむ。保守の論客の方は、日教組の支持政党が共産党であると誤解しているようであるが、戦後しばらくは自民、現在は民主である。論旨が脆弱且つ一貫していないから、保守の論客に軽くひねられるのであるようにフィクションされるのだ。
その間に、経済関係を変動させ、実体化される法案が成立するのだ。