金持ちの家庭に生まれたのも、貧しい家庭に生まれたのも偶然ではない。喧嘩の強い両親がセックスしたからであり、喧嘩の弱い両親がセックスしたからである。貧しい家庭の生まれた子が、分厚い内部留保を抱える老舗オーナー企業の息子に勝つのは並大抵のことではない。既成の経済関係、社会関係を研究して商品開発に係るアイデアやノウハウを確立しても生産手段を持たなければそれを実現できない。

生産手段を持たない労働者の家庭の子は出発点において労働者にならざるをえない。彼は、どんなに勉強や仕事を頑張っても金持ちにはなれない。頑張れば頑張る程、搾取されるのである。 従前より2倍の業績を上げても、他人の2倍の業績を上げても給料は2倍にならない。彼に2倍の給料を与えていたらブルジョアは内部留保を蓄積できないのだ。

にもかかわらず、会計学の教科書は、資本家は、給与に利益を上乗せして価格を決定すると教える。

しかし、労働者の家庭に生まれながら経済的社会的に成功する者がごくまれに存在する。親は貧しくとも、祖先が喧嘩が強く間違っても偶然ではないのであるが親戚に金持ちがいたということもあるが、人を使うことに成功した者なのだ。金持ちに金を出させることに成功した者なのだ。技師を使うことに成功したのだ。方便を使うにしろ、暴力によって使用人や取引相手に恐怖を植え付けるにしろ、金持ちに対しセックス(政略結婚)を使うにしろ、密告を使うにしろ、競争相手の悪口をいうにしろ、人を使うことに成功したのだ。

人を使うことに成功したら、次はひたすら、「搾取」「搾取」「搾取」である。仕入業者を買い叩く。労働者の賃金を絞る。こうして搾取御殿が完成である。これをメディアに流して、公開オナニーショーの始まりである。人は誰も彼を英雄だと思わない、彼に嫉妬しない。それは、滑稽な絵でしかないのだ。資産の増加と共にそれだけ投融資を受けているのである。つまりは、現実には、経済上は、金融資本に資産を所有され金融資本の経済関係に基づいて処分されるのである。 産業資本家は、金融資本家に現金留保を蓄積させられて、それを回収されて、金融資本家に現金留保は集中するのである。