殺人が悪であると定義されるのは、ブルジョアが自らの生命が絶たれて資産を略奪されたくないからであり、家族や使用人が殺されて内部留保が蓄積し続けることができなくなるからである。、労働力商品、女や子供は資本の所有物だからである。したがって、法律は、戦争と正当防衛はその適用除外なのだ。

石油、原子力に投融資して戦争を引き起こせば内部留保を蓄積できるのだ。政治家、フィクサー、及びこれらの使用人を雇って、ブルジョア体制の反対者を消しても戦争を引き起こしても、競争に勝てば処罰されない。人民に生きる権利を付与して、ブルジョアに従う義務を持たせる。本能という属性を与える。宗教を創造する。倫理、道徳を定めて、殺人は悪だと定義する。本能、宗教、倫理、道徳はみな方便である。では、何故、殺人をしてはならないか。殺人は、問題提起、全体化、資産取得の決定に至る推論、当該決定、当該手段を採用した結果が思考にいかに作用するかを放棄した、資産の取得方法であり、最も容易な略奪法である。だから、ブルジョアは、決断力のある人間を好む。決断を急がせるのだ。報復も略奪である。防衛も略奪である。科学的推論を放棄した暴力を媒介をする者に富を独占させ、権力を掌握させ、それを維持して、経済社会の科学的進歩を停滞させ、体制に反対する者を選択し、恣に、唯心論的に殺人を繰り返し、これら行為を食い止める者がいなくなるからである。人民は、暴力による恐怖を媒介に生命身体賃金思考を労働によって搾取され続けるからである。