経済関係社会関係が、人の思考に作用を及ぼすことを繰り返し述べてきた。それでは、ブルジョア階級v.労働者階級という問題提起をした場合、労働者自らが存在する経済関係社会関係が全ての労働者階級に存在する者の思考に対して、常にイデオロギーの方向に作用するのか、ブルジョア階級の経済関係社会関係が全てのブルジョアジーに同じ方向に作用するのか。

しかし、現実には、全ての人間の思考が同じ方向に作用するとは言い切れないのだ。労働者階級の中にも、資本家のイデオロギーを賛美して資本家に取り入ってブルジョアジーになることを目指す者もいれば、賃上げ運動や反戦運動を行って自らの立場の関係改善を目指す者もいる。ブルジョア階級に生まれ育った男性が、ブルジョア階級に生まれ育った女性を好きになるかというとそうとはいえない。ブルジョア階級、労働者階級内部の各人についてその者の有する階級内外の全ての経済関係社会関係事実関係を細大洩らさず拾い上げて検討してみると、すなわち全体化してみると同じ階級内に属するからといって、全く同一の事実関係を有していることなどないのである。当該関係にいるからこうだと「断定」することは、科学的な態度とは言えないのである。

ブルジョアジーにも、対外問題評議会に加盟しているような大企業資本もいれば、オーナー会社のようなプチブル、個人事業主と変わらぬような零細事業者もいる。労働者の中にも、管理職のように労働組合の情報をブルジョアに密告するような者もいる。自社で材料費を持つ者もいれば、材料費の無償支給を受ける者もいる。同じ階級内であっても、生産集団たる家族の関係も細部まで必ずしも同じではない。在庫を持たない委託製造者もいる。最終消費者に販売する小売業者もいれば、卸売り業者もいる。グループ企業にしか売上先を持たない者もいる。

過大退職給与又は移転価格税制の独立企業間価格の問題に関して、比準法人を選定することがあるが、二項対立させた段階では、同じ分類であっても、細大漏らさずそこに従属する者の事実関係を全体化して、通時態、共時態アプローチを交えながら推論すれば、当該分類の経済関係社会関係がその者の行動、思考に及ぼす作用は同一とは言えない。したがって、問題を立てる際、諸問題を類型化するなどして二項対立をすることによって、問題となっている事案について「決断」を下し、勝敗を明確にすることは、経済戦争により権力を掌握した人間が、大衆の心をつかむ手段となりうるのだが、こうした唯心論に立脚した行動は非常に問題を誤ることである。