学理的解釈には、前述の文理解釈の他に論理解釈がある。論理解釈は、法の目的に従って解釈するのではない。目的(メンタル)だけで行為を行い、既存の事実関係を把握しその原因を探らないことは、怠惰であり、他者すなわち経済関係社会関係に従属している存在の行為である。しかしながら、人間が自由意思で経済社会を動かしているというのも誤りである。目的と効果のみで実践すれば、司法であろうと行政であろうと経営であろうと何度も失敗する。乗越えや超越は、既存の経済関係社会関係を土台に、必要に基づき経済関係社会関係を更新させたもので、目的とは異なる。取引時現在や諸外国の経済関係と立法時の問題提起、事実関係は、経済関係が異なって形成したものでから比較するのであって、社会通念や現象面の推移によることからではない。正義という道徳、宗教は方便である。べき論、当然の帰結であるというような物に属性を与える論法は、理想や主義といったイデオロギーの上層にあるものである。文理解釈も論理解釈も、経済関係という土台を現実に即してその全てを把握することである。