人間の力では、どうすることのできないものをブルジョア学者らは、自然と呼んでいるが、科学者の役割は、この自然とよばれるものについて、問題を建てその原因を探り、自然であるとか偶然であるとか呼んでいるものをを消滅させなければならない。偶然ということに逃げていてばかりいては、何の生み出さない。よって何も進歩しない。ゼロは何倍してもゼロである。

地震にしろ水害にしろ火災にしろ、開発者がろくに地質等を調査せずに、過去の災害や諸外国の例から問題を建てて科学的に分析せずに、資本増殖を追求し非科学的に宅地開発、農業開発、工業開発、ダム・道路の建設を行なったことが原因である。原爆投下や国際金融資本の自作自演ですらあることもある。

災害救助に当たっては、労働を疎外して労働力を再生産させている、開発者の資本たるブルジョア企業がその代理人たる国家を通じて報酬を支払う義務がある。他の人民や動物に開発者の利益を守らせるのは、反対である。

開発の命令者に救助に行けと言いたい所だが、労働力を再生産することを余儀なくされなかった経済実体に救助をやらせれば、労働力の再生産が損失に向かう過程に追いつかず、それでは被災地の人間(生産関係、社会関係によって済む場所が決められ、ブルジョアジーは、人民が自らの意思つまり自然に住んでいることにしたがるが、自らの意思で住んでいるわけではない。)の労働力が労働以外の生活もできない。

ブルジョアが侵害行為を企て、現地人の抵抗にあったのとは違って、人民は加害行為を行なったわけではない。

災害救助の専門的知識・技術を有する者の力を借りるにしても、借りる相手としての災害地への自衛隊員や自衛隊機の派遣には反対である。

何故なら、自衛としての組織であるなら、軍用機や武器を所持する必要はないはずであり、ブルジョアたちが略奪戦争という疎外労働から作出した組織を災害救助を命じることによって、ブルジョア自身の侵略行為を帳消しの方便にし、ブルジョアたちが、人民に対し、その存在意義を認めさせることに利用されるからである。

現状の人数だけでは、救助に当たる人員が足りない、自衛隊員が災害救助に当たるというのであれば(勿論、労働力の提供により労働力を損傷又は消滅させ、後で自由意思であったとの方便を用いてはならない)、自衛隊を解体し、生産手段たる一切の武器を捨て、軍用機もブルジョアがさせてきた侵略行為の職務を一切放棄させなければならないのである。