租税負担公平原則は二つの面から論じられる。租税負担は、特定の思想信条を有することや特定の政治団体に所属することによって、不利益的取り扱いを受けるいわゆる治安立法と称されるものであってはならない。租税負担公平は、課税物件の量的担税力の面から論じるだけでは不十分である。例えば、生活手段たる給与所得や消費生活必需品は担税力が弱く、これに対し相続財産や株式等投機的財産は担税力が強い。憲法25条にいう最低生活は、生活できる限界を指し示すものでなく、労働生産能力にかかわりなく、生活が困窮に陥ることの恐怖に襲われることのないという意味での、且つ思考活動をするための時間や金銭があるという意味での余裕をもった(奢侈の意味での余剰ではない)生活が送れることを意味していると解するべきである。応能負担原則というよりは、所有の必要性の有無により税負担を考慮すべきものと言える。資本主義体制の下では、自由、平等、博愛といった高尚な言葉をもって、人民を惹きつけるが、税制をはじめ、生産諸関係、政治的諸関係等を見渡せば、そうした言葉が虚構であることがよくわかる。