取引に係る諸関係、取引の構成要素たる直接取引を行なう者の役割から、取引の目的が決められる。人は自己の目的に沿って主体的に行動(この場合は取引)するのではない。あくまで受身である。
例えば、生産手段を有する資本家であるがゆえに、自己の所有が、事実上の所有にすぎないのであるなら、他人にいつでも移転しうるという他人との関係があるがゆえに、契約をする。自由意思によって、契約をするのではない。自己の所属する集団、並びに他者及び第三者との関係により、目的や意思が規定される。
よって、まずは、係争事案の取引における事実関係の把握からスタートすることとなる。その上で、そして、当該取引の必要性について、取引の経緯等を踏まえて、仮説(問題提起)と推論を働かせて、検証する(税法の例で言うと、課税要件の確立)。解釈のプロセスにおいて、当該取引における特殊事情を無視して、定式化や図式化といった幾何学的な作業の濫用は、扇動者が行なうことである。
そして、取引行為の目的(上層)はあくまで事実認定の事後に読解する、つまり知るだけで、解釈の段階では没交渉である。あくまで、取引の目的(上層)は、問題解決を図るという創造的活動段階(法律の適用)になって、納税者が取引の必要性や合法性(上層)を立証する際のその根拠(ここでは土台ではない。土台でなく上層階の床に付着したつっかえ棒)を構成する要素の一つにすぎないのである。つまりは、方便ともなりうるものであり、暴力に委ねられてきた世界に関しては、いかさまである。
目的が手段を正当化するのではない。手段が目的を正当化するのである。何らかの媒介を介して相手方に目的の正当性を認めさえたにすぎないのであって、目的が絶対的に正しいとは言い切れないのである人は目的によって行動するとしてしまうと、相手方に、相手方有利の結論を導くだめの手がかりを与えることとなる。
ただ、参考として目的をたずねるという程度のものである。解釈の段階から、つまり、課税要件について論じる際に、とりわけ、租税回避目的の有無云々、歓心を買う意図の有無云々といった主観的意図を持ち出すことは、課税を行なおうとする側にヒントを与えるようなものである。。
したがって、このようなことを避けるためには、法の適用に当たっては、行為を行なう者が当該行為をせざるを得なかった諸関係の存在、せざるを得なかった契機(当然、諸関係も契機も人格を有する)と交渉することが必要となる。