これまで、自由の実現、略奪や暴力や戦争を消滅させる必要性について述べてきた。しかし、自由を実現し、且つ、暴力等を消滅させるには、どのような方法を採る必要があるのか。各人の意識や良心にかけるのか。

いや違う。財界や社会から期待される意識、良心に沿って行動するのか。それも違う。意識や良心など信用すると、略奪や暴力や戦争に加担させられてしまうのである。意識や良心、道徳(主観性が存在している)といったものは、暴力等を企図・指揮する人間に逃げ口上を与えてしまうのだ。勝ち組たる一部の人間を除き、大部分の人間は、自由な主体となって行動していない。自ら帰属する生産集団や社会から要請される役割を演じている。

大部分の人間の発言等の背後には、その人間の役割が隠されている。意識や良心や道徳を判断基準とすると大変なことになる。では、どうすればいいのか。法律や司法には限界がある。だからといって、学者やマスコミが言うような法改正や新たなシステムの構築を待つ必要はない。それには、まず、自らと異なった立場の人間の果たしている役割を把握し、暴力や強制を伴うことなく、自らの採ろうとする行動につき、その必要性を、現在の事実関係、現在までの経緯を踏まえて、仮説と推論と検証をもって、相手に理解を求める技術が必要となる。個人個人が交渉術を磨き、既成の行政上、民事上の手続きの中で、個人個人が異なる立場の人間に働きかけていくことが必要になるのである。