毎年この季節になると戦争を題材にしたドラマが各局で制作される。テレビで放映されるドラマは、戦争で大切な人を失った悲しさ、爆撃によって焼け野原となった町並み、戦地に派遣された者との別れ、軍隊内部の理不尽さ等が描かれている。

しかし、スポンサーが怖いのか、アメリカが怖いのか、財界とその周辺のことを批判したドラマは非常に少ない。アメリカは善人として描かれていることが多い。そして、ドラマの最後は、戦争の財界と共に原動力の一つとなった家族の絆の大切さとかそういった形でまとめられる。国民や家族といった言葉は、戦争への呼びかけと結び付いている。

先祖愛だとか家族といった言葉が強調されるようになったら戦争が近づいているのである。戦争の根本にあるものを明らかにせず、外面上、非暴力、反戦を訴える形をとっているから、人民が財界をはじめとする国家に暴力や言論によって抵抗しないように、従順さを人民に要請することができるのだ。

そして、人民に力をつけさせないから、財界等国家は自らの階級の利益を承継させることができるのだ。だから、番組のスポンサーも、自らの暴力を棚に上げて、放送を是認するのだ。批判を許すのだ。ひどいものになると反戦ドラマという形をとりながら愛国心を醸成することを目的しているものまである。反戦ドラマどころか財界及びその周辺のプロバガンダの役割を果たしているのだ。経済関係上、スポンサーが怖いからそうしたものを作らざるを得ないのである。

原作者の主張が歪曲されている例も多いのである。ドラマに関しては所詮はフィクションであるから、どういうアレンジをして放映しようが構わないし、フィクションである旨をテロップで流しているので、原作者に対して一定の配慮はしている。

テレビは、国際金融資本によって出資設立された、所詮は、洗脳マシーンである。ドラマ、CM、バラエティを使用して洗脳する。ニュースは、100%自作自演の嘘である。

テレビを観ている側は、テレビ局の意図など簡単に見破っているから、どういうものを制作しようと表現者の自由ではある。

ただ、観ている側には、もっと原作そのものを読み、ノンフィクション作品にも触れて欲しいと思っている。当時伏字が施された書物についても、可能であれば伏字の無い状態で読めるようになって欲しい。国際金融資本の使用人であるGHQの摘発を恐れて焼却された雑誌及び書籍などを持っている人がいたら、公開して欲しいと思う。あらゆる資料を読者の批評にさらして分析していくことが重要だと思う。