人間は、物質を生産する企業、更には経済機構を形成し、経済機構等に影響されて思想が生まれる(例として、組織票、特攻隊の志願)。物に支配された受動的な実践があって、意識、思考が生まれるのである。

わかりやすく言うと、仕事が与えられことによって思想が形成される。社会というものや思想について解明するために、人間と人間でないもの(物には可知的なものとそうでないものがある)に区分し、人間を人間でない「物」に例えたり(抽象化)、定義づけ、二者を対立させる(後に述べるが、二項対立には、恣意的な問題点のふるい落とし、少数意見の抹消、類似見解の微妙な差異の捨象等の問題が生じうる。混沌とした諸関係を神のごとく見下ろし、それをないものであるかのごとく純化するのは、ブルジョア的態度である。)、。

そして、世界の発展していく過程を推論するにあたっては、その推論の基礎となる原理が存在する。人間は既存の構成された原理を解消して新しい原理を構成してきた。経験だけでなく歴史から学ぶことは多々あるのである。

たしかに個人的見解と同種の見解を発見したり、類似する見解に適合させることによって独断を抑制することが可能であるとする見解は一見妥当であるように見える。しかし、歴史認識を特権化すること、自分の属する社会から他の社会から切り離して考えることは非常に危険である。歴史上の変化は、社会生活の要請によって維持されてきた幻想にすぎないのである。政治や法律(判例も含むIといったものは、瑕疵ある行為かつ悪意のある行為が偶然ではなく、何らかの媒介を通して社会的に成功したにすぎないのである。

歴史の真実というものは、反対照的であるはずなのであるが、歴史認識は、幾通りも存在し、相互に一致することはまずありえない。個々の構成要素間の関係性を明らかにしようとしても全ての面を明らかにすることは困難である。第二次世界大戦に係る歴史認識も様々であって、その時代その時代の財界をはじめとする社会の要請によって、真実であるとされる歴史認識は異なっているのである。

歴史から学ぶということは、恣意的な行為なのである。世の中を支配している物の見方が常に正しい意味を持つとは限らない。事実認定と法解釈の境界線(定義)はあいまいなのである。これらのことは、判例についても当てはまる。

客観性(外部の世界)を持たすことに固執すると、少数の合理的見解が多数説の類似説又は反対説の中に相互の見解の差異が埋没される危険性がある。ただ、他の批判にさらし、反対説の言わんとするところを研究し、自説の弱い部分を乗り越え、反対説からの批判に対する反論を考えることによって法理論は発展するので、必ずしも陳腐化した原理原則に固執する必要はない。永遠化させてはならないのだ。

法律家がよく言う社会通念というのは、法律の規定に意味内容を与える際にその使用に当たっては、慎重でなければならないであろう。他の社会における法制度、法理論を学ぶ比較法研究を行なう行為(共時態的研究)は現在も進歩の大きな原因となりうるし、自己の目的・動機とは交渉できないが(交渉すると解釈が恣意的になる)、原理原則との距離を再度見直してみたり、社会通念を離れて推論してみたりすることが必要となってくるのではないか。

方法が重要となってくるのである。経験及び実証並びに歴史認識を特権化したり、安易に社会通念を多用すること、その結果思考を停止することは、また、逆に真実の探求を途中で挫折させてしまい、仮説と推論にのみ頼ることは、いずれも、経済戦争の勝ち組にその反対説から守る余地や口実を与えてしまうのである。

つまるところは、学問の目的は、可知性の低い領域を可知性の高いものまで引き上げて、可知性の低い領域を減少させることである。法律の適用の適用に当たっては、事実認定の恣意性と法解釈の恣意性のいずれをも排除することが要求される。

だから、裁判においても行政処分においても、その理由を明らかにすることによってその適正性を担保しているのである。 構造(仮説、推論、検証)も弁証(事物の発展の過程)も人間が下す決定の根拠を補完するものに過ぎないのであって、決してそれ以上の意味はないのである。 恣意(方便によるフィクション)の抑制が行政処分その他実務、私法上の事業関係等の大量性、迅速性、複雑性の前に、後退させることは、あってはならない。

折衷説を好む学者が陥りやすいことであるが、恣意の抑制が実務の前に後退することは、上部概念である理論を下部概念である実践に近づける作業である。