今回の韓国のテレビ番組を日本のテレビ局が放映している件についてであるが、「かつて日本が韓国や中国について行なった侵略行為等を外交カードとして使ってくるのは、フェアではない」、「外交カードを使って日本の弱みにつけこむ韓国や中国に対して日本政府は弱腰である」、「韓国、中国側による事実の偽造である」といった福沢諭吉の脱亜論の流れをくむような論調が見られる。洗脳マシーンは、争いをフィクションしているのだ。
戦争に投融資すれば国際金融資本は儲かる。こうした日本人の論調は、国際金融資本に加担して侵略、搾取を行なっておきながら、真実を認めようとせず、逆ギレをすることは、暴君のやることで、国益のことしか頭にない優しさの欠片もない言葉である。
いじめと同じで、やった方は覚えていないが、やられた方は覚えているのである。心の傷はいつまでも残る。心の傷をさらに踏みつけるような行為である。「日本人を拉致したとされる問題だって、もしやったという報道が事実であれば罪のない子供たちを拉致したということは抗議の手段としては正当化できないが、拉致された子供の年齢とその親の年齢がそれぞれ同年代であることから、アットランダムに拉致したのではなく、戦時中日本に強制連行された時にいじめた日本人の名前を覚えていてその子供を拉致したのではないかと思っている。「遺憾」の意ばかり述べてきちんとした謝罪をしないから、いつまで経っても友好関係は築けないのである。
戦時中の日本における韓国人が疎外労働をさせられたことは、国際金融資本と天皇を始めとする日本の大産業資本との間の資本関係が土台にある。国際金融資本から投融資を受けた電波は、日本と韓国の加害行為を報道し対立させてきた。拉致された子供は疎外労働をさせられ、それにより資本増殖したのは国際金融資本であり、拉致の土台には、国際金融資本が北朝鮮に投融資をしたという、国際金融資本と北朝鮮の資本関係である。
他国の番組を流すこと自体は問題ではない。その土台となる経済関係,伏線が問題となる。親米保守である産経テレビや電通が盛んに韓国のテレビ番組を放映していることがひっかかるのである。人は支配しようと考えている相手に対しては、とことん尽くす行動をとる。韓国のテレビ番組を放映することによって、韓国に経済的利益を与え、韓国を黙らせ、反日感情を弾圧する、放送したことへの見返りを求める。
こうした形で、日米両国の金融資本は、韓国を取り込もう、搾取してやろうと考えているのではないかという点で危惧している。しかし、これは、韓国の反日団体に味方をすれば電通は儲かるから放映するのだという見解に対する同調する意味で言っているのではない。米国、英国に所在する国際金融資本に味方すれば儲かるからである。日米の大企業資本が欲しいものはもっと他にあるのではないか。
第三次世界大戦の準備でもしているのかと勘ぐりたくもなる。安倍政権時代、対外問題評議会の会合が東京のキャピトル・ホテルで行なわれ、次は日本と中国が戦争をする予定である、と話し合いがもたれたとする見解があったくらいである。韓国の芸術作品は政治に利用され、意図や目的は実体がないから原作者の意図とは違った、現実の資本関係とは異なった、目的の実体化、正当化で使用される。韓国の芸術作品は、韓国が再び日本の、否、国際金融資本の植民地になることの引換え切符なのか。 否、日本、韓国、韓国の労働者は既に植民地の労働者として労働を疎外されているのだ