死せる物質から生きた物が発達し、既に実存していた動植物並びに物質間の弱肉強食の戦いに勝ち残った動植物の内、生殖技術に優れた動物の中の一つは、ボス猿の命令で、生殖に励み、自己の財産を永続させていき、人間もそのようなプロセスを通じて誕生した。
資本関係、その上層にある経済上の競争、社会関係に基づいて誕生させてきたのであって、猿が進化して人間となったのではない。神様が人類を誕生させたのではない。
突然、他の世界からやってきたのでもない。コウノトリが運んできたのではない。
まず最初に人間を含めたところの物質があって、その後に精神が来ることに注意すべきである。精神に基づいて人間が造られるのではない。
そして、前回の内容を更に具体的に言うと、人は、「人間」という名称を付けて、その役割と性格を与えた後、生殖器の違いから、「男」と「女」という名称を付け、男には子供を産む能力がなく、女には子供を産む機能が備わっていることに気付き、男には、時代と共に狩猟、領土・金銭をはじめとする財産の獲得、事業の拡大、利益の拡大をもたらし、女にそれを渡して管理させ、女を他の男から守るといった役割とそうした財産・利益を獲得するという狩猟本能が遺伝してきたとする。
教育現場で男には武道が義務づけられているのもこうした事情がある。
そして、女には、男の財産を守り継承するための兵隊となる子供を産み育て、銃後を守らせるという役割を与え、女は、体力でけでなく、男より財産や利益を獲得する仕事の能力が劣る、男に守られたいという願望がある、細やかな気配りができる等という性質が与えられた。
ご主人様が父親から夫に変わるだけなのである。女が男より筋力がないのは遺伝ではない、出世できないのは遺伝ではない。
男に力をつけさせてもらえないからだ。大企業からなる国家は、こうした男女の役割・性格を与えることにより、最も恩恵を受けるのは、自分たちだから、自分たちだけでなく被支配者の利益拡大・奪い合い競争をも奨励するのである。
男とか女とかいう性別は社会によって作られたという言葉は正しいと思う。実際には、男より金銭等を稼ぐ仕事ができる女もいるし、家事育児に向かない女もいる。子供が嫌いな男や女もいる。男より速く走ったり、重いものを持ち上げる女もいる。
女でも大雑把な性格の女もいれば、男でも繊細な人間がいる。これらは勿論、持って生まれたものでなく、生まれてから身に着けるものである。
社会が男女それぞれに与えた役割や性格のように、男女個々人の役割や性格は画一的に規定できるものでないことは実証されている。
にもかかわらず、御用学者達は、大企業の資本家をはじめとする国策に沿うように、「男らしさ」「女らしさ」、「女子力」、女は「皆」、30歳を過ぎると出産のタイムリミットを考えるようになる、だとか、いった言葉を用いて、世論を誘導しようとする。
そして、弱肉強食、敗者を淘汰するという世論を形成してきた。御用学者やマスコミ、家族等に洗脳されて、圧力をかけられて少子化の原因は自分たちが作ったのだと申し訳なさそうに語る独身者がいるのも驚きである。そして、男と女とその間にできた子供から構成される家族は、「生産」を行なうという意味で、「企業」や「軍隊」と共通するのである。
利益を義務付けられる以上、温かい企業、温かい軍隊がないのと同様、温かい家庭に育った人というのは実は一握りである。
結婚や出産をしない人というのは、幼少の時から、大人になっても世継ぎ問題(財産等の承継)等や親の野望のために罵倒されたり、自分のことで両親が罵り合う姿を見ているから、ファミレスで楽しく一家団欒を過ごす家族の姿を見ても、「家では違う」ことを知っているから結婚も出産もしないというのが結婚しないという人の多くの人の本音である。
御用学者は、独身の男女が結婚出産しない理由として、「趣味や自分の時間を持ちたいから」ということを挙げ、意図的に生産を行なう単位である家族としての側面を隠蔽する。ここでも彼らはブルジョアの国策に沿うように世論を誘導しようとするのである。
一見、きれいな言葉を用いて、お洒落に語っていても、悪意を持って語っているのだ。無学無知であるかのような印象を与えるような文章を使っていても、実は明確な経済関係を手段を既成させ、したたかに語っているのである。
景気不景気のケースにも当てはまるが、数式や統計は人を騙すために、問題の本質を隠すために発明されたのだ。 独身者と叩く姿は、まるで戦時中の隣組や産業報国会、町内会の人々のようである。
税制面でも、配偶者控除、扶養控除という特典、給付金たるインセンティブを与え、独身者や子供なしの家庭には重税を課す。ブルジョアは、効果を期待して給付金を支払う唯心論者を装っているのである。