「同性愛はキモいのか?」。「ロリコンはキモいのか?」。お答えしましょう。はっきり言ってどちらもキモくないです。なぜなら、異性であろうと同性であろうと、いかなる年齢の相手であろうと、人を愛するということに変わりはないからである。
ただ、望まない相手とのセックスを強要することが問題となるのでである。国家を所有する資本にとっては、自分たちの利益を守ってくれる、労働力たる「兵隊」が欲しい。戦争が実現し長期化すれば資本は増殖する。その証拠に、戦地に健康な若者を派遣したい、若い女性には、戦争の長期化に備え、丈夫な子供を作って欲しいという意味で、ナチスドイツの優性保護思想に基づくと”される”健康増進法が立法され、少子化相のポストが作られた。
医薬品開発は製品化しなくともコストがかかるから国際金融資本からの投融資を受けざるを得ない。医薬品開発は投資によるリターンを産む。資本は医薬品開発に投融資し、資本が規定し社会に認めさせた高齢者の属性が付与された人民を延命させ、資本関係により労働力を維持させ、高齢者の数を増やしておきつつ、資本を増殖させる量が低下したジジイやババアがヤニ食って死のうが関心がないのである。
東京都を例にとってみても、都立病院の数や老人福祉費が削減されている。資本は、中央銀行への準備金制度に基づく紙幣発行を隠蔽し、資本は疎外労働をさせておきながら、高齢者に未払給与の支払い、賠償をせずに、高齢者の生存が成立しないとして労働者に養育費を転嫁させる。現役労働者に労働力を再生産しないと資本が不足すると煽る。したがって、「生殖を伴わない愛」を否定するのである。だから、生殖を伴わない恋愛をキモいことだと、大人によって子供の頃から刷り込まれるのである。
また、大人は、子供に対し、マスターベーションについて、「精子の浪費である」「はしたないこと」と教え込む。女性がセックスについてはオープンに語っても、マスターベーションについてオープンに語らないのはこのためである。
こういうことを言うと、「人は一人では生きられない。だから、結婚するのだ」と反論がありうる。これについては、生きていく力がないのではない。幼いころから、男より劣るのだと教え込まれ、賃金や失業給付、税制等、国際金融資本が女性に一人で生きていけない制度をつくっているのである。そして、こういう人に「支え合うのが目的ならば、別に相手は同性でもいいではないか」と再反論をする者がいようなら、国際金融資本の工作員や国際金融資本から”おこぼれ”をもらっている奴等は、図星なのか、烈火のごとく、支離滅裂に怒りだす。
一方、生殖を伴いうる愛についても、事情は簡単ではない。これについては、「結婚している人との愛は悪か」という問題提起がなされる。既婚者を愛することだって、人を愛することには変わりがない。悪ではないと思う。戸籍上の妻の子と非嫡出子の区別がつかなくなり、相続の際に厄介な問題が生じるから悪であると教えられてきたのである。相続税率100%にすれば、こういう問題は起こらないであろう。
それでは、「結婚前のセックスは有りか」、「快楽のためのセックスは有りか」。いずれも「有り」である。国家や親が、家の財産を相続する上で、ふさわしくないと考えている相手に、財産が移転することを恐れているから、「はしたない事」として教え込むのである。世間一般でいう「でき婚」が非難されているのもこのことが背景にある。
逆に経済的に利用し合うメリットがある家だとわかると、当人達の意見などお構いなしに、セックスを強いるのである。陰湿な中学生のいじめでも、せいぜい、フルチンにして終わりで、セックスまでも強いるのは珍しいであろう。
一人の人間として愛し合えば、家が国家が途絶えたっていいではないか。後者についても、愛はいつかは、終わる。永遠などない。刹那的だから面白いのである。そして、いつか人間も終わる。愛のないセックス、セックスにそれ程、深い意味はない。労働力再生産をせずに、望まない妊娠さえ避ければゲーム感覚で楽しんだっていいのではないか。