俺は、トップブロガーなんかではありません。
俺は一度、無料ブログで失敗しています。
これから書くことは、ブーメランとして自分に跳ね返ってくるかもしれません。
また、この記事すらも読まれずに、スルーされれるかもしれません。
成功したことのない奴が書いているので、これを読んだからといってトップブロガーになれるほど、
甘いものではありません。
ブログを書いたことのない人よりは、全てではありませんが、どうすれば失敗するかはわかるつもりです。
俺は戦争のない世の中にしたい。
「おかね」という商品がある限り、それは、100%無理なのもわかっている。
順位なんかどうだっていい、インポイントやアウトポイントの数もどうでもいい。
とにかく、1人の人に、賛成されなくてもいいから、読んで欲しい。
失敗者が、説教タレるなという御意見もありますが、どうすれば失敗するかを書くことで、それを見た人が、考えるようになれば、
それなりの役割をこなせるかもしれません。
Contents
バカにブログは書けません。とにかく、学ぶこと。
否、人間の肉体は、最初は、みんな何も知りません。
バカなままでいる奴には、書けません。
人間の肉体は、死に向かって進行します。
自分が経験できることは有限です。
自分の経験だけではなく、ネット上で、調べ続けることです。
市場で出版されている書物、新聞、テレビだけではダメです。
大手メディアの書物、テレビ、新聞、教科書は、ロックフェラーやロスチャイルドとの経済関係を土台に、事実を書き換えられています。
大手出版の書物、テレビ、新聞は、ノンフィクションではなく、フィクションです。
老害と呼ばれている人たち、それと女は、書物、テレビ、新聞を一方的に受容し、別の角度から調べてみるということをしません。
現場のハードな実務は、男の労働者がやってくれています。
男に守られて、又、威張るだけ、威張って自分では調べません。
書物、テレビ、新聞を見て右往左往します。
簡単に洗脳されます。
それで若者を説教します。
説教しながら、大して賢くない奴が仕掛けた詐欺に引っかかります。
メディアを通じて権威付けられた学者、経営者の下僕、コメンテータの著作物だけでなく、
名もない労働者、失業者からも学ぶことです。
管理職の社員や准教授当たりの奴を軽く論破して泣かすぐらい、
テレビに出てくる”無識者”を遥かに凌駕できるぐらいの
数多くの物事を知っていなければなりません。
更に、その一つ一つについて深く知っていなければなりません。
そして全ての面から批判できなければいけないと思います。
ブログには、自分が執筆前までに既に知っていること、執筆の過程で、調べて知ったことを余すことなく書くことが大切です。
こんなこと、誰でも知っているからいいや、ではなく、省略せずに書くことです。
ブログの題材にした事柄だけでなく、それに「係る」ことでけでなく、
それに「関すること」も書いていきましょう。
題材の説明の範囲について言えば、「関する」>「係る」です。
「ブログの題材その他の事実」ではなく、「ブログの題材その他」を書いていくのです。
題材の説明の範囲としては、「その他事実」>「その他の事実」です。
キーワードって何?そんなもん、書く前からわかるわけねえだろ。
Googleキーワードアドワーズを始め、何がキーワードとして上位に挙がっているかを調べることはできます。
しかし、選定されたワードは、経済関係に基づいたフィクションかもしれません。
選定をさせた人の観念が入っているかもしれません。
金融資本にとって利益になる商品、奴隷たちに買うように仕向けたい商品を宣伝すれば検索上位に表示されます。
金融資本にとって利益の邪魔になる事実は、検索上位に表示されません。
あなたの書きたいことは、それらに列挙されたことですか?
ところで、ブログを書く上で、目的なんかは要りません。
目的をブログに書く必要もありません。
目的は、実体がありませんし、目的よりも実際に出来上がったものが重要だと考えます。
誰しも社会で暮らしていれば、肉体に様々なことを溜めこむでしょう。
肉体に溜めこんできたことを、発するだけです。
けれども、それだけでは、ウンコをするのと同じです。
感情に任せて書いても誰にも読まれず、自分が発したことは伝わりません。
では、どうすればいいのか。
先ずは、題材に関する事実関係を列挙することである。
題材について説明する。
過程はどれぐらい書くか。それは全てです。
題材を全ての面から見て書く。
これを「全体化」といいます。
よく、ブログ論では、ブログを書く前の「少しバカだった頃の自分」を思い出して書きなさい」とあります。
しかし、社会には、ブログを書く前の自分よりも遥かにバカな奴だっているかもしれません。
他人がどれぐらいバカかは、わかりません。
所詮は、実体のない観念です。
兎に角、全部書く。
全部書くことことによって、単語の数は、増えます。書く方も読む方も、文章が長いと感じるでしょう。
世の中、各々の経済関係によって、調べていることは、人によって様々です。
文章を書き続けることによって、単語の数が増えるので、より多くの人があなたのブログに訪れます。
これは、偶然や自然ではありません。
そのとき、そのことについてその記事を読んだだけで、全てを知ることができなければ幻滅するでしょう。
よく、簡潔に短い言葉で、且つ、インパクトのある言葉で、読み手に伝えなさいと書いているブロガーの方がいますが、
俺は、説明を省略することなく、書き続けて、長ったらしいと感じさせてしまった方がいいと思います。
これは、余分かなと思ったことも、他人にとっては、必要な情報かもしれません。
文章のコアとなる、根幹となるキーワードは、書く続けなければわかりません。
ツイート程度の短文ではダメだということです。
私は、無学無知ですといっているようなもの。
ゴミはゴミでも、残飯は、ホームレスやカラスが食べてくれるかもしれません。
何も書いていない紙屑や落ち葉はスルーされます。
私は、ブログを書き始めてから、しばらくは、ブログをとにかく数多く濫発してきました。
1日、109記事をアップしたこともあります。
1日3,300PVを記録したこともありましたが、水増しもあるでしょう。
それで私は、失敗しました。
そのことを踏まえてみても、1記事当たりの文字数>ブログの数だと思います。
それじゃ、論文書くのと変わらねえじゃないか。
ブログも論文も、自分の経験プラス調べて学んだことだけでなく、それらを土台に、咀嚼して、自分で批評し、これまで、自分の言葉で、自分の意見として、誰も書いたことのないことを書くこと、それが難しければ、少しでも何かを付け加えることが大切です。
論文も、専門のことを羅列するでけではなく、専門家にとっては、基本的であると錯覚している単語でも、専門外の人は知らないこともあるのです。
そのような単語でも省略せずに、説明して専門外の人にも理解できるものでなければなりません(実際に理解してくれたかを確かめることは難しいですが)。
私は、ブログを書くことは、論文を書くことと変わらないと思っています。
ブログを書くということは相当ハードな労働なのです。
仕事の合間に書いてトップブロガーになれるほど、生易しいものではないのです。
但し、記事数が少ないながらも、労働者が、労働の場で経験した事実を、暴露することは無駄ではないと思う。
職場毎に、経済関係、労働条件は異なるので、
その者だけが経験したことは、勤務してきた職場に限られてくるので、他の職場における事実を調べて暴露するといいと思う。
ブログを書くことは、労働。使用人に書かせてはいけません。自分の肉体を使って書くこと。
現場で働く労働者にブログを書かせることは、労働を付加し、労働を延長させることである。
会社を締めるまでの間に、現場の労働を速めさせ、ブログを書かせたら労働を強化させることである。
ブログを書かせたのであれば、その分労働を賃金を払って評価しなければなりません。
しかし、肉体は、その分摩耗します。
資本の枠を使って使用人が書いたブログは、公にされるので、資本の不利益になることは、事実であっても書けません。
ブログは、いかなる経済上の立場であっても、自分の肉体を使って書きましょう。
誰に憚ることはありません。とにかく書き続け、発信し続けることです。
ブログを書いていると、批判に晒されます。
事実か否かは現場で観た人が観念を交えずにその場で伝えればわかることですが、
文章には、予め、「正しい」、「間違っている」という属性は備わっていません。
過去にあった事実を書いたことが、正しいか間違っているかどうかは評価の問題。
批判されても恥だと感じる必要もありません。
批判に関する反論を書くことでブログは強化されていくのです。