疎外された労働の評価は、債券のフィクション、債券の購入による投融資によって、労働者に貸し付けられている。投融資を源泉に労働を疎外したことを土台とする利潤が取得できなければ、投融資から撤退することを余儀なくされる。労働力商品を含む生産手段を購入せず、事業所を賃借しなければ、借入をすることなく、労働力を再生産することなく、利潤の出資源泉は自分一人であるから、労働を疎外した利潤の全てを交付させることができることである。

起業の場合、国際金融資本から受注を貸し出されて、需要をフィションされた段階で終わりである。一人でこなしきれずに労働力商品を購入させられ、借入をさせられる。

国際金融資本と労働者の資本関係はフィクションされたものであること、土地が利潤を産み出すのではないことを踏まえれば、

起業の場合、利益剰余金に利子と家賃を加え戻した評価が労働者に交付されなければならない利潤であり、更に、現金商品が価値を産みものではないことを踏まえれば、資本金の評価、借入金の評価についてもその他経済実体の労働者の労働の疎外分を除いた分が労働者に交付されなければならない利潤である。

しかし、資本金、借入金、利潤が労働者に交付されなければならないということは、法律により実体化されていないから、利潤の内の一部が現場労働をしない労働者である役員報酬であると実体化されてしまっていることから、労働者は労働力商品として現金が交付されより安い評価がされてしまっている。

資本金を出資した役員であっても借入金の評価が資本金の評価を上回っていれば、当該経済実体に融資をしている国際金融資本に、利潤を交付することを余儀なくされ、労働者との資本関係だけでなく架空資本と国際金融資本との資本関係にも基づき、利潤を産み出す過程がコントロールされる。

現場労働者は労働を疎外された段階で、利潤の評価の交付を巡る対立の場に立たせてもらえず、法人税に加えて、してもいない借金である国債の負担を所得税という属性を付与されてさせられる。

国際金融資本は、労働することなく無から紙切れをフィクションできるが、労働が疎外できなくなるから、紙切れをフィクションして国債を負担することをしない。

租税を巡る争訟は、国際金融資本の代理人たる労働者である役員が資本金の実体化を手段に国債の返済を国際金融資本に如何に待たせるかという争いに過ぎなくなる。

租税には、フィクションされた資本と労働者の資本関係、経済関係、生産関係を消滅させることができないのである。

労働の疎外がなくならない限りは労働者は救済されないのである。