会社の上司や取引先の労働者から叱られたことってのは、金融資本経済を土台として形成された奴隷の道徳。
資本から貸し付けられたノルマをいかに他の経済実体に貸し付けて
いかにして金融資本からのおこぼれをもらうか。
奴隷の道徳は後付の方便
労働から学べることなんて何も無いよ。
経験や捏造された歴史からは何も学べない。
搾取されるだけ。
狭い社会を飛び出して、他の社会を見ること
これは間違っていないと思う。
情報の真贋を見極められる力がつくから。
貴方の利潤になることを教えたら
自分が搾取されるから誰も何も教えない。
人は、皆、ユダヤ金融資本を通じてありもしない紙切れの奴隷として生かされている。
疎外された労働に付されていた価値を
いかに取り戻すか。
仕事は自己実現や遣り甲斐や自分探しではない。
生活の手段だ。
技術も生活の手段だ。
誰も社会における資本と戦う手段、スキルなんて誰も教えない。
そんなもん、自己啓発本千冊読んでも得られないだろう。
広い世界に出ても漫然と眺めているから何も学べない。
現象や法則しか見ていないから何も学べない。
メンタルや観念の世界に逃げ込むから何も学べない。
実体がないものを、事実であるとして分析、研究することをやめるから。
全ての面から見て、原因を遡り、プロセスを見直さないから学べない。
奪われた価値を取り戻せない。
叱られたことから学ぶのは、資本の利益になるだけ。
叱られるのを待っている奴は絶好のカモだね。