ごみ処理券は、現金や紙切れ(いわゆる紙幣)と同じく商品である。労働の提供があって、労働に付した価値を疎外して、利潤に価値を付して確定し、労働力商品と商品を交換して商品に価値を付する。
利潤の価値は出荷の前、役務完了前に確定する。労役の提供を受けていない段階では、労役を提供させる経済実体の資本においては、利潤が確定していないから、購入した側は、在庫計上をしなければならない。
どの勘定科目を使用するのかわからない取引について、それを雑費に混入することの支障としては、雑費勘定が膨らんで税務調査が入る、銀行が金を貸してくれなくなるというのは現実ではない。
雑費勘定が膨らんでいたとしても、行政側は、消費税計算書、消費税試算表、勘定科目内訳書を始め全ての提出書類を署内で調査してから調査してから、署外における質問検査の連絡をしてくるから、財務諸表という現象面だけを捉えて即質問検査に移るということは現実にはありえない。
銀行も、国際金融資本が、労働を強化し、メディアを使って国家の財政が苦しいという大義名分を流し、共産党を使って貸し渋りをアピールしていて、現実には、国際金融資本は、疎外労働に付与された価値、未払の労働力商品や預金を流用して、架空の紙切れを創造し、銀行を設立し、金融機関を使って国債や株券をフィクションし
ー国が国債を発行しているのではないこと、証券会社ーこれは飽くまでも代理人ーや産業資本が株券を発行しているのではないことに注意しなければならないー、
金融機関に国債や株券を買わせて、価値を付与するが、現実には価値相当分紙切れを刷るわけではなく、オンライン上の数値にすぎないから、無制限に紙切れを発行したことにでき、
それを法制化して社会に認めさせているから国家財政、国家は実体のない観念上のものであるから、
すなわち民間銀行の資本ー日銀も民間銀行であるーは、破綻することは100%ありえない。
貸す金はいくらでもある。餓鬼を作らせなくても地球上の全人民に欲しいだけ年金や生活保護を支給することもできる。国債を負担させないことができる。
それだと、労働しなくなる、金を借りなくなる、ユダヤ金融資本の真似をして新たな紙切れをフィクションして疎外労働済の商品との引換え、金融をする奴がいる。ロックフェラーやロスチャイルドとの資本関係、生産関係上、銀行の労働者は、現実の金融のプロセスを隠蔽し、財政不足を煽っているという建前上、欠損法人や、労働者に貸出して労働に使用させていない資産を購入しているような会社には金を貸せないよと言っているだけで、商法や会計基準に基づいて算定された利益が粗利の段階で、現実を表していないこと、減価償却は実体のない観念にすぎないことを知っているから、提出した決算書、申告書が実体を表しているとは思っていない。
現実の損益に関係なく貸せば貸すだけ、労働の疎外を土台に、国際金融資本の金融プロセスは強固になり永続できるから、資産が無一文になるまで経済実体を法律上破産させず、貸し続ける。疎外労働の量の大きい核、原発、航空機、車両、製薬,種子、原材料を開発製造する経済実体に比べると貸出量が遥かに小さいということである。
経済実体の利潤の源泉となっていない資産であっても、生活に使用している資産であっても、どんどん紙切れを消費して、無産なものを購入して借入をしてくれれば、国際金融資本は、資本関係を土台にして、労働を疎外できるし、労働を疎外して、損益に関わりなく、利息収入を増加できるから、むしろ購入してくれた方が有難い。建前上、オーナー役員からの借入、貸付金を隠して、科目間、時系列の金額を平準化して利益を出して来いと言っているだけである。
税理士事務所も消費税を計算する過程で消費税の課税、非課税、課税対象外をチェックするから、必ず、全科目をチェックせざるを得ない。
消費税法上は、会計上在庫になるものであっても、損金と同じく、交換の段階で課税仕入にはなる。この過程において、法人税法上、所得税法上、損金又は必要経費になるかも併せてチェックするから、取引価額が10万円以上のものがスルーされることはまずない。手間も同じである。
スルーされるのは、10万円未満の小さいものである。
事業所における経理について言えば、雑費を使うことよりも、勘定科目の数を増やして、取引を分散させ販管費の各科目間で総額が突出した科目がなくなるから、雑費に混入した取引がスルーされるのである。
既存の科目、製造業や建設業の場合には、外注費や現場経費又は貯蔵品、卸、小売業であれば、消耗品に入れておいた方が、在庫計上漏れや在庫過大計上を避けられ、経理業務がしやすいのではないか。
役務提供を受けていないゴミ処理券が質問検査の場において見つかっても、指導事項で終わりである。
ユダヤ金融資本の代理人は、こんなつまらない誤りだけをもって、修正申告を書けとは、まず言ってこない。
雑費勘定に混入することによる支障は、決算書は、粗利の段階で現実の損益を表さず、更に減価償却の計上の段階で更にそれが助長されていると言ってしまえばそれまでだが、更に微妙に現実の利潤の実体からかけ離れるということであろうか。
財務諸表上の損益と、税務上の所得の差額ができる過程がごちゃごちゃして決算法人が読み取る手間がかかるということであろう。