捏造された資本関係を土台に、マイナンバー制という手段により、これまでは、医療費の通知書では医療控除の証明資料となりえなかったが、医療機関で受けた診療に支払った報酬が、領収書なしでも医療費控除が受けられることとなった。

経済、税金のプロである税理士先生には、「納税者が領収書の請求と保存をしなくてよくなった」「診療報酬の領収書は不要となったが、製薬や医療器具の領収は保管し集計しなければならないから、実務上の煩瑣は変わらない」とかそういう花畑なことは言って欲しくない。

税実務のことだけしか考えないということを止めて欲しいのだ。国債の負担割合である租税の徴収の仕方を法律上変えたところで、労働の疎外を土台とした国際金融資本への利潤の流入は、微々たる程度にしか労働者に、再配分されない。税率は、実定法上、100%なのか。オフショアやプライベートバンクだってあるのだ。申告所得の把握と徴収漏れ、年金の徴収漏れ、生活保護の支給のチェックが、国際金融資本が工作員にさせている仕事の全てではない。氷山の一角でしかないのだ。

奴隷解放と利潤の再分配は、価値属性の備わっていない紙切れと労働力商品、労働を引換えにし、労働に付与される価値を疎外すること、紙切れとの引換えを待たせること、それにより銀行を設立し、国際金融資本による銀行を使用した国債の発行、銀行に国債を買い取らせ、産業に投融資するというループを消滅させなければならないのだ。このループを消滅させうることなくして、租税改革だけを謳うのはピケティや同じ花畑であり、プチブルから労働に付与された価値を取り戻して終わりにして労働者に再分配されることなく、国際金融資本に還流させ、労働者は揃って貧しくしている共産経済と変わらない。

国際金融資本に、全ての人民の肉体、経済のデータが筒抜けになるということはどういうことか考えて欲しい。人民が健康診断を受けて放射能を浴びているかをチェックし、身長、体重を把握し、それを民間産業に流出させ、暴露し、チビの労働を強化し、疎外労働の量を増やし、疎外労働に付与されていた単価を安くし、労働力商品に付与される単価を安くする。国際金融資本が投融資をしたメディアやネットを使用して女の工作員に嘲笑させたり、女になりすましてチビを嘲笑する。

一方で、仕事を頑張ればこんな可愛い娘と結婚できると煽る。愛は実体のない観念であるから、口では愛しているとは言っても、その男のことは愛していない。御主人様は紙切れである。疎外できる労働の量の少ない、背の高い労働者に工作員の仕事を与え、癌保険を売り込み、病気をフィクションして、放射線を浴びせ、抗がん剤を投与する。国際金融資本は、病気をフィクションし、人民が、予防接種を受けているかをチェックする。病気でない人民にも、予防接種をさせ、肉体にダメージを与える。

冷静に考えてみれば、ウィルスなど全く体内に入っていない肉体の方が健康であることは明らかである。ウィルスを少量接種することにより、病気への免疫を作ると真顔で語る医師やそれを信じる接種を受けた人民がいかに基地外かがわかるであろう。製薬に投融資すれば、利潤が入るのは誰か。製薬会社ではない。労働を疎外させた国際金融資本である。製薬会社の劣後資本は、おこぼれを受け取るだけだ。流入してきた利潤を国際金融資本はどうするのか。消費をして豪邸や高級車を購入して贅沢な生活をするのだろうか。それは違う。再び、投融資をするのだ。

国際金融資本は、人民に国債、保険商品、株式をオンライン上で購入させ、紙切れを拠出させる。現実に、架空資本を預かり運用するのは、国際金融資本の代理人である金融機関である。拠出された紙切れは、戦争、製薬、遺伝子組み換え種子、原油、ウランに投融資される。疎外労働を土台にした利潤は、純額ベースでは、国際金融資本に転嫁される。中央銀行との資本関係を土台とした紙切れをフィクションする権利は国際金融資本に付与されたままである。これらは実体のない観念であるリスクではない。既成事実なのだ。