女は、酸っぱい葡萄なのか。男は女とセックスをしたいという本能は備わっていない。
労働者は、労働力商品を売らされて、労働力の再生産を余儀なくされ、資本関係を捏造された。ウンコや小便の流れる水を飲んだ労働者は死んだ。洗ってない「まんこ」に「ちんこ」を突っ込んだ男は死んだ。労働者には死を選ぶという自由意思はない。
美女もチビ、デブ、ハゲもウンコをする。肛門と至近距離にあり、陰毛を通じてウンコの付着した”まんこ”にちんこを突っ込むことができなかった。
国際金融資本は、女を労働力商品として安く買い、売春をせざるを得なくした。労働力の再生産ということを土台に、資本が規定した女は、父親という最も身近ではあるが、源泉たる御主人様ではない御主人様に経済上、閉じ込められている間は、チビ、デブ、ハゲ、ブスとの性交を拒み、電波の後付の方便に洗脳されていれば経済上差し支えなかったが、労働市場に放り込まれるや否や性労働を安売りすることを余儀なくされる。
労働者は、再生産した労働力を養育するという労働を無償でさせられ、国際金融資本は、全く実費を負担することなく疎外労働を土台にした利潤を享受した。国際金融資本は、童貞野郎を正社員にして女を貸出した。
国際金融資本は、恋愛と結婚を混同させ、フリーターは結婚できない、結婚できないから不幸であるという実体のない方便を用意した。国際金融資本は、売春婦を電波に登場させ、美人という価値属性を付与した。国際金融資本は、国際金融資本が規定した男に、セックスに快楽という幻覚を与えることに成功した。
しかし、国際金融資本が、疎外労働を土台にした利潤を、産業資本の労働者に、給与の支給を待たせて銀行を設立し、物差しなどではない紙切れとの引換えにオンライン上で応じさせ、国債の発行をフィクションし、国債を別の銀行に買い取らせ、紙切れの発行と価値属性の付与をフィクションさせ、紙切れを貸し付けて価値属性を付与して資本関係を捏造し、国債の返済を労働者に負担させ、財閥解体、貸倒の捏造、組織再編を通じた資本に付された価値を集中させる過程の内で、銀行を使用して労働者に投融資をさせて、労働者に架空資本に紙切れを投下させ、疎外労働を土台にした利潤を一旦受け取らせて、銀行の貸倒れをフィクションするまでの過程においては、労働力の再生産は停滞した。
性労働はいかなる経済過程においても無償だからである。国際金融資本は、「狐が手を伸ばしても葡萄には届かなかった」。「狐はこの葡萄は酸っぱいに決まっているからと言い訳をして葡萄を取るのを止めた」という童話をフィクションした。
国際金融資本は、食べる前から酸っぱいと決め付けることは実体のない観念であるとしたのである。確かに「酸っぱいに決まっている」は、実体のない観念である。しかし、バブルの前とバブルがはじけてからは、先ず、女が手の届かないとするテーゼは現実とは異なっている。労働者は既に紙切れの召使に「食えよこら!」と口の中に突っ込もれているのである。
それでもバブルがはじけてからは、女は余った。女は甘い葡萄であるということも実体のない観念であり、また、女に性労働上の需要があるとすることも実体のない観念であったのである。葡萄は酸っぱくても肉体に害はない。女はドリアンか。ドリアンは不味という幻覚を与えることに成功することはできなかった。
女はドリアンではない。女は毒林檎か。毒林檎を食わせたら労働力は死んでしまう。女は毒林檎ではない。女は、成長ホルモンを投与された、遺伝子組み換え食品である。派遣やフリーターよりも疎外労働に応じて紙切れのグロスに高い価値が付与された労働者ー報酬総額を労働量で除した労働の単価は安くなっているーは、「俺は、肉体上のコンプレックスを乗り越えて経済上成功した。派遣やフリーターとは違う。奴らはクズだ」とのたまう。
疎外労働の安売り競争の後に、電波ーTV,ネット、通信は国際金融資本の出資設立によるーによって肉体上の劣等感を植えつけられてそれを乗り越えられたと電波を通じて錯覚させられているだけである。
競争によって国際金融資本が最も利潤を受け取るということを知っている、女を受け取っても、婚外で子供を作られ、労働力商品を疎外労働に投じても受け取った金員に高い価値は付与されず、無償で養育させられて、子は、労働力商品として国際金融資本に買われるということを知っている分、女体が甘いと幻覚されていないか、されなかった分、派遣やフリーター、労働をしないニートの方が賢い。労働力商品を売って疎外労働を人一倍こなし、受け取った金員に高いグロスで高い価値を付され、実体のない電波の後付の方便に洗脳された労働者が最も愚かなのである。