資本が脆弱な中小企業は、確かに借入無しで経営することは困難である。

しかし、産業資本は、先ず借入をする前に考えて欲しい。

需要は所詮は、国際金融資本によってフィクションされた実体のない観念である。

してみると、納期を短縮して大量の仕事をこなさなければならないのか。

事業を存続、承継させることによって、労働をしない金融資本を除いた利害関係者にメリットはあるのかということを。

借入をすることにより、資本が労働者に生産手段の購入を通じてにしろ、直接にしろ、貸し出される。

資本関係に基づいて利子の支払いを労働債務に優先して支払うことにより、一労働時間当たりの労働量を増やし、余った時間で別個の仕事を与える。

一労働当たりの、労働力商品に付与される価値が従前より下げられる。

労働の安売り競争、資本に利益を転嫁させる競争に敗れた労働者は解雇され、既にした大量受注による納期の短縮により一労働者当たりの労働時間が延長する。

予め価値の備わっていない紙切れが、それを貸し付けただけで新たに価値を産むとでもいうのか。

利子は、国際金融資本が労働者から労働に付与された価値を産業資本から奪ったことの方便である。

借入をすれば労働者は頑張るだろう精神論は、労働者に鞭を入れることであり、産業資本の勉強不足による最も安易な方法であり、経済土台を持たないという点で性善説と変わるところがない。

国際金融資本の工作員である青年会議所のいう借金をしない経営者は五流であるというのは、国際金融資本が資本増殖してきたことの方便であり、奴隷の道徳を疎外労働をさせたことの方便にしていることである。

利子の支払いを含め法人の損失債務、経費の支払い義務は、投融資割合に応じて資本にある。資本増殖の土台は労働にあることを忘れてはならないのだ。

労働者に付与された価値を全て払わなければ、労働以外の生活過程を与えなければ、労働者は動かないのである。

利子は勿体ないが経費になるからいいやというのは余りに花畑である。

産業資本は、

紙切れに価値が付与されず、生産手段を持たない、経済上最も弱い労働者に、

労働に少なくとも生活費実費を上回る価値を付与し、付与された価値を全て労働者に渡し、赤字を作る

ー債務超過であっても即破産しなければならないということではないし、事業を永続させなければならないというのは資本関係上の義務にすぎず、実体上の義務はない。

ー、中央銀行への投融資によりーよって現実には中央銀行は民間銀行であるー、紙切れに価値を付与する権限を付与されたことにより、返済が滞っても資金不足が生じることが100%存在しない、経済上は最も強い国際金融資本への支払いを後回しにする、支払い期限を延ばすことをしなければならないであろう。

そして退職金の支払いを金融資本への返済より優先して経済上無理に事業を存続、承継しないことを考えなければならないであろう。