少年はいかなる手段で、いかなる人数を殺しても死刑にはならない。

無期懲役が宣告されても、成人式の前には少年院から出所してくる。

少年は大人の違って判断能力がないからだと人権派弁護士は言う。

大人が解けない入試問題を餓鬼は解けるではないか。

セックスの仕方だってマスターしているではないか。

16歳で結婚して経済生活を行っているではないか。

少年は、殺人をして、他人の存在を消して、生活ー労働以外の生活は限られたものではあるがーを奪う権利を取得していないことはわかっているのだ。

少年を死刑にしろと言いたいのではない。

少年であろうと、大人であろうと、死刑を執行してしまえば、損害賠償義務を被害者に対して履行することなく死によって義務から解放されることになってしまうからである。

大人と異なって心を入れ替えて更生する余地があるとの方便を人権派弁護士はのたまう。

労働に応じたかどうかは確かめることができるが、心を入れ替えたか、反省したかは実体のない観念であり、誰も確かめることはできないのだ。

よって、殺人をした少年が死刑にならないのは、何か別の理由があるのだ。

そう、ヲサンやババアと違って少年少女は餓鬼が作れるのである。

少年少女は生存させておけば、監獄内における疎外労働をさせることができることに加え、労働力商品として前科の価値属性が付与されていない者よりも低い価値が付与して、疎外労働をさせることのできる過程がヲサンやババアよりも長いだけではない。

労働力を再生産して、疎外労働を継続反復させ、国際金融資本の資本増殖、戦争への投資、さらなる資本増殖の過程を永続することができるのだ。

現実にJKを殺してコンクリ詰めにした少年もケコンして労働力の再生産に応じているのだ。

人権派弁護士は、被害者側への賠償や加害者の出所後の生活に基づいて死刑に反対しているのではないのだ。

司法試験に合格した者は司法研修所においてイデオロギーや宗教、道徳といった唯心論を駆使した方便を用いて大衆を納得させるスキルを叩きこれ、国際金融資本のロックフェラーやロスチャイルドの工作員となることを契約させられるのだ。

人権派の価値属性が付与された弁護士や裁判官は国際金融資本の工作員なのだ。資本に価値の付与されていない被害者や加害者が経済利得を得ずにいきなり権利を取得することがないことは冷静に考えればわかることである。

人権は実体のない観念なのである。

弁護士よ、裁判官よ、怒るがよい。怒るのは図星であるからである。

名誉毀損で訴えるだ? 名誉は実体のない観念であるから、訴えの利益は存在しないのだ。

裁判の当事者でない第三者の一見解によって、当事者の経済関係、依頼人との経済関係が形成されたり、失われたりすることは、経済関係、実体関係の形成過程上ありえない。仕事が減少したことによる失った利益は、予測にすぎず、実体のないフィクション、方便でしかないのだ。