公園の中を散歩していると、鳩を追いかける4歳位から中学に入るか入らないかの年齢の餓鬼をよく見かける。追いかけられた鳩は逃げる。ベンチに座っている他人の方へ逃げる。ベンチに座って休憩している人は鳩が羽をばたつかせて襲いかかってきたので急いで逃げる。このような光景を見ると社会の評価は、「子供は無邪気だ」「微笑ましい光景である」と評価する。批判すると、許容量がないと言って、子供を批判を許さないのだ。子供の親もニコニコしながら見ている。こういう奴らは、物事を上層でしか見ることのできない、物事を全体化して見ることのできない奴等である。
しかし、よく見て欲しい。餓鬼は鳩と遊んでいるのではない。蹴りを入れたり、棒で脅しながらつつきまわしたり、石を投げたりしている。鳩や周囲の人間が死んだり完治しない怪我をしたらどうするのだ。周りの人が急いで逃げて車に轢かれたり、石が当たったりして死んだり完治しない怪我をしたらどうするのか。鳩と遊んでいる子供など見たことがない。鬼ごっこや追いかけっこの顔ではない。鳩を追い掛け回す子供の顔は、逃げ惑ういじめられっこや登校拒否の子を追い掛け回して逃げ場のない所に追い込む顔、待ち伏せしているときの顔をしているのだ。十中十いじめているのだ。明らかに鳩をいじめている。顔もいじめっ子の顔、ドメスティックバイオレンスの大人の顔をしているのだ。労働者の賃金を絞る資本の顔をしているのだ。大人顔負けに計算していじめて、周りの人にも迷惑をかけているのである。それでも、鳩を追いかけている子供を可愛いと思えるだろうか。「同じ屋根の下に暮らす子供は可愛い。だから何をしても許される」。そう思っている親があまりに多いのである。 ドキュソな親があまりに多いのだ。 動物が死や完治しない怪我に至らなかったとしても、そんな親は子供の前で誰かに叱られて恥をかけばいいのだ。