事務労働者と肉体労働者、肉体労働者間、事務労働者間はそれぞれ、肉体労働の量が異なる。それでは、何故、起きてから間もない間にガツガツ朝飯を食わなければならないのか。排泄を我慢して食べ物を詰め込む必要があるのであろうか。排泄が終わったら即食べ物を流し込まなければならないのか。満腹で満員電車に乗って、始業から鞭を入れられて、思考が働くとは思えないが。各労働者は、肉体労働の量が異なるのに、空腹でもないのに全員が4~5時間経過したら昼食を取り、3食食べなければならないのか。肉体労働の量が少ない事務労働者が山盛りの丼飯にハンバーグに、とんかつ、味噌汁又はラーメン、小麦粉カレー、餃子、山盛りの丼飯の昼飯が必要なのであろうか。ごま油やサラダオイルを使わないと野菜は炒められないのか。

生産関係上、休憩時間に何をするかは個々の労働者が決めることであるが、揃いも揃って同じ店に言って同じものを食べる。労働者は給料に安い価値が付けられて、家庭を持たされ、一家団欒で夕食を囲むべきである、独身の男は料理が作れない、独身の男は早く死ぬ、と国際金融資本が出資設立した、投融資した電波はタレ流す。

育ち盛りのガキと中年のオッサンが同じものを食って中年のオッサンが健康であるとはとても思えないのであるが。現実に家庭持ちの労働者で痩せている者を全くといっていい位見たことがない。労働者はブクブク太らされ、毎年健康診断や人間ドックで放射能を浴びせられる。満腹になった40~50代のオッサンやババアがジムに通ったり夜中にランニングをしてアスリート並に負荷をかけてとても健康になるとは思えないのであるが。

骨を作り身長を伸ばすのはタンパク質である。にもかかわらず、納豆や魚を残したガキは怒られないのに、脂肪が大半の牛乳を残したガキは教師から虐待チックに折檻される。無理やり流し込まれる。牛乳はアトピー、喘息、免疫異常、花粉症の原因になる。国際金融資本は製薬に投融資して疎外労働をさせてリターンを得ることができる。坊主が最も清潔なのにハゲちらかしても、坊主にさせてもらえず、バーコードにさせられる。資本が規定した女は長髪にしなければならないとされる。日銀が出資設立された明治時代に牛肉、アステルパームが普及した。

 田舎資本の渋沢栄一や武士の大隈重信や一政治家の岩倉具視に日銀の証券を買い占めて、支払った金に世界各地の紙幣発行権を付与された金融資本よりも高い価値を付与できると思うか。公開結社であるロッジやエージェントの資本に軍事産業、医薬品開発・製造をさせて労働者に貸し付けて戦争をさせるだけの価値を付与することができるか。

ロッジやエージェントは、所詮は工作員すなわち国際金融資本の子法人資本の使用人である。ロッジやエージェント、宗教団体名義の法人は、宗教やイデオロギーではなく、国際金融資本から投融資を受けたことによる資本関係を土台に疎外労働をさせる。

戦争の主人は、ロッジやエージェントや架空資本を付与された経済実体でではなく、商品、労働力商品、金商品と引き換えられることに成功した紙切れの存在である。既存の資本経済システム、資本関係を土台に医薬品、放射能、石油の開発を行わせれて、投融資を受けさせれば、投融資を受けた法人の資本をどこに投資するか貸し付けるかを決め、疎外労働を行わせて資本を増殖することができる。社会全体の資本を上回る名目上の紙切れの価値を立証しなければ、中央銀行の架空資本は他の経済実体に付与されるから、産業に投資して投融資を受けなければ中央銀行の架空資本の付与を受けることができないから、医薬品は病気を再発させるか、別の病気を実現させるものでなければならず、次々と医薬品の開発製造を余儀なくさせる。産業資本、労働者は、国際金融資本への投資、貸付けを預金と教えられ、国際金融資本から投資や前貸しを受けさせられているから、医薬品を購入し、金を消費し、疎外労働を余儀なくされる。

 常識として定着したことは、どれも義務付けるだけの根拠が説明されないまま、常識として定着してしまっている。身近な疑問であっても、日本の学者の書いた書物だけを読んだり、日本、外国の新聞を読んでも現実の事実関係はわからない。身近なことだけに疑問を持っても世界を知ることはできない。商品又は労働力商品と金、金と紙幣の引換えを土台があって、日銀を出資設立させられたのは、既に欧米の中央銀行を設立させ紙幣発行権を付与されてきたロスチャイルドやロックフェラーである。日本が国際金融資本の孫法人となったのは、戦争に負けたからではない。資本関係を土台に、国際金融資本が日銀に軍事産業に投資させた段階で、既に戦争に勝っても負けても借金漬けにされたということは同じである。日銀を出資設立されたから日本は国際金融資本の孫法人となったのである。上記の導入の根拠、疑問の回答を電波が説明しないのは、説明したら国際金融資本の資本増殖の妨げになるからである。